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そのときわたしたちは-その10

どこまでも人の見えない空港は初めてだった。

普段は人でごった返す空港に人がいない。店舗もほとんどが閉まっていた。事前に最近帰国された人たちの情報を聞いていたので、おにぎりや飲み物を家から持ってきておいて助かった。3席使って寝転がっても誰も文句を言わない。寝転がってスマホの充電をしながらくつろぐ子供達。

こんなに人がいないの初めてだよ。夫にチャットを送る。

やっぱりそうか。とにかく気をつけて。


羽田までは3時間足らずだけど、着くまでがいつもよりずっと長く感じた。空港で止められたらどうしよう?心配だった。


けれども、全く呼び止められることもなく私たちは到着口まで着いた。飛行機から出たところで中国便の人はこちらへ、という方に流れていって、発熱など体調に異常を感じた時の注意事項や連絡先などの書かれた紙を一枚渡されただけ。

半日前まで厳重警戒の街にいた私たちは拍子抜けだった。宿泊先にも普通にリムジンバスで行った。マンスリーに到着すると、私は一人でコンビニに出かけた。2週間は自主隔離と決めているが、必要なものと食料は買いに行かないといけない。

なんとなく街中から監視されているような気持ちになる。突然知り合いに会って、あら、あなたどうしてここにいるの?中国にいたんじゃないの?と聞かれたらなんて言ったらいい?そんなことばかり考えてしまう。


日用品の棚を見て、あれ、トイレットペーパーがないな、と思う。夜だから売り切れたのかしら。明日か明後日にまた来よう。

マスクもないということにはお店を出てから気がついた。


部屋に帰って荷解きをしていたら、長女のスーツケースに入れておいたはずのマスクがなかった。マスクは?と聞くと、色が気に食わないから置いてきたという。私白じゃなきゃいや。

中国では水色のマスクが主流で、ベトナムで買ってきたものの多くは黒かった。

そんな事を言ってる場合じゃないでしょう!今更怒っても仕方ないのに大きな声が出てしまった。

日本はまだ安全と言われているけど100%ではないのに。できるだけまたマスクを探さないと。

出かけなくていいようになるべく必要なものはネットで買おうと思っていたけれど、マスクを検索するとありえない値段が並んでいて驚く。

一箱5000円、7000円。。

テレビでは盛んにトイレットペーパーの買い占めを止めるように言っていた。

トイレットペーパーのほとんどは中国で製造されているから、コロナで物流が止まって国内のトイレットペーパーが無くなる、という噂が広まっていますが、事実ではありません。買い占めはやめてください。

原因はこれか。もう買い占めが始まっているんだ。

そしてまた中国のせいになっていることにうんざりする。少なくとも上海ではトイレットペーパーの買い占めなんて誰もしていないし、常に店頭に在庫はあった。


それからは買い物に出るたびにトイレットペーパーとマスクを探した。途中でマスクは諦めて、近所の手芸店でガーゼ生地を買ってきて手持ちのマスクで型をとって手縫いで作ることにした。息子と娘の分をできるだけ。オンライン授業を受ける次女の横で私はマスクを縫い続けた。結局2人に10枚ずつ渡すのがやっとだったけれど。

同じようにマスクを手縫いで作ろうと思い立つ人が多かったようで、手芸店はいつも混雑していた。生地はあるがゴムがなかった。私は売り場を探し回って代わりになりそうなゴムを買った。パジャマのゴムだときっと長女は使ってくれないだろうから。

息子にも帰ってきたことを伝えて、トイレットペーパーとマスクのことも連絡したけれど返事はなかった。この人は大抵全然返事をくれない。いつも未読スルー。この時は卒論締め切り前だったのでなおさら。でも元気で過ごしてくれていればいい。


2週間が過ぎたらあとは短期決戦だった。長女の荷物を新居に運び込み、ネットで頼んでおいたものと一緒に荷解きし、必要なものを買い出しに行く。トイレットペーパーはもちろんなかったけれど、生理用品の棚も空だったのには呆れた。必要な人が限定的なものなのにこれも?

ドラッグストアで呆れている私の横で、おばあさんが店員に聞いていた。

一体いつになったらトイレットペーパーが入るの?生理用品は?孫に送りたいのよ。

空っぽの棚の理由が分かった気がした。


次女も一度だけ友達と会えた。お年寄りと同居していたり、小さいきょうだいのいる子には連絡しづらかったので、ひとりっ子のお友達。小学校の数年だけ日本で過ごした時にできたお友達たちが次女の大切な日本の友達だ。

その子とは一番仲が良くていつも子猫みたいにぺったりくっついて遊ぶ。久しぶりに見た次女の心から嬉しそうな様子に、あんまりくっついたらダメ、と言いづらかった。

一緒に来ていたおかあさんにごめんね、と謝った。こんな時期だから距離を取って会うと言っておいたのに。ごめんね。

気にしないで、うちの子も楽しそう。私も毎日仕事に出てるから同じようなものよ。

ありがたいな、と思った。長女ちゃんも、困ったことがあったら私に連絡するように言って。近いし。気をつけて帰ってね。またすぐに会えますように。


早くその日が来るといいな、と、1年以上経った今でも思っている。