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そのときわたしたちは-その2

武漢に出張?武漢てどこだっけ?と思ったと思う。

夫は月の半分は国内出張に行っているけれど、武漢は初めて行く場所だった。

「初めてだから楽しみだなあ。武漢は日本の自動車メーカーがいっぱい出ていて日本人もたくさん住んでいるんだ。大きな街だよ」

ふーんそうなのね、いってらっしゃい。そんな感じで見送ったのが12月上旬だった。

夫は無事に帰ってきてその後もあちこち飛び回り、次女は冬休みに入った。

次は私が長女を迎えに行く番だ。何度も行っているしほんの3時間ほどの旅なのにいつも少し緊張してしまう。


そこに飛び込んできたのは、

「武漢で新種のコロナウィルスが発見。海鮮市場から市中に広まったか?原因を捜査中」というニュース。

コロナ?って何だっけ?くらいの認識しかなかったけれど、これはまずいことになるのでは?と思った。

その予感は当たって、ニュースの数日後には武漢が閉鎖された。

閉鎖と言ったら完全閉鎖がこちらでは当たり前だ。ただ立ち寄っただけの人も、住んでる人もごちゃ混ぜに街から全く出られなくなる。いつまで続くかわからない。出入りが禁止されたので、物資も止められている。そんな話だった。夫の出張が翌週にずれ込んでいたら夫も帰れなくなっていたかもしれない。タッチの差だった。

武漢に赴任している人たちはどうなったんだろう?大使館がすぐに動いて救出して帰国させてくれると思うけれど(すぐにこれは全然機能していないと分かった)、それまでの間暮らせるのかしら?こちらはデリバリーが発達しているので出かけなくても物の調達はできるはずだけれど、物資の出入りができないとなると話は別だ。


でも武漢は我が家とは相当離れているから、まだ他人事だった。こっちまで影響はないだろうと外国人はもちろん現地の人々も思っていたと思う。

でも、確実に生活の中で影響が出てきた。

「デリバリーが届かない」

武漢の閉鎖に伴って、武漢を経由して運ばれていたものがストップしたため、注文したのに届かない事態が発生するようになった。

中国全土どこからでも数日内に配送されるのがウリの市場が混乱し始めた。

そして、物資の移動とともにウィルスも運ばれると言われ始めて、マスクや消毒液が徐々に売れ始めていた。KN-95から在庫がどんどんなくなっていく。法外な値段設定でもあっという間に売り切れる。少しずつ不穏な空気が流れてくる。

日本での報道を受け、大丈夫かと安否を尋ねる連絡も入り始めた。呑気に大丈夫と答えていた私。

そして運の悪いことに、この年は4年に一度旧正月が早く来る年だった。1月の終わりに来る旧正月。私たちは旧正月の移動を制限するのかどうかが気になっていた。制限がなければ、問題は深刻ではないはず。旧正月は最も重要視される休暇だ。この国では西暦のお正月は大晦日と元旦しか休まない。クリスマスも最近はパーティなどするけれど基本平日扱い。なんといっても大イベントは旧正月だ。旧正月の移動が制限されたら、本当に暴動が起きても仕方がない。さてどうなるか?


ともあれまずは長女を迎えにいくべく、私は飛行機に乗った。4日ほど一緒に寮で過ごして部屋を片付け、おいていく荷物を貸し倉庫へ預ける。

合間に交通費支給と美味しいお肉のエサで息子を呼び出して一緒にご飯を食べた。少し離れたところに暮らす彼にはなかなか会えない。いつも忙しいと言われ、メールの返事もなかなかくれない。彼が大学進学時に私たちは彼を一人残して引っ越したので、この状態になって何年も経つ。

息子にも長女の荷物を少し預かってもらう。主に消耗品。使ってもいいよ、といって渡す。ついでにお土産に買ってきた不織布マスクも。一応ね、と言って。

クリスマスイブの日に全て引き払って、長女を連れて自宅に戻った。まだ空港内も街中も普通だった。少し安心。けれども、確実に情勢は変わってきていた。