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そのときわたしたちは-その13

息子と別れた翌日、次女と過ごした部屋を片付けて荷造りしてから、長女の元に行って一緒にご飯を食べた。

夕飯時のせいか平日なのにどこもいっぱいで、駅前のお蕎麦屋さんにやっと入れた。後から小さい女の子を連れた家族連れが隣のテーブルに座った。人一人やっと通れるくらいの通路なので会話がよく聞こえる。

お父さんがお母さんに話していた。

うん、それでね、△△君のおうちの前まで〇〇ちゃんと自転車で行ったの。そしたら窓からお母さんが顔を出して、あら、〇〇ちゃん元気になったの?って言うから、いやあ、ずっと熱が下がらなくて休んでたんですけど、家にいるのも飽きちゃったって言うから△△君のおうちに行ってみようかってなって。朝は熱が下がってたから、って言ったんだ。

ちょっと耳を疑ってしまった。お隣さんはもちろん誰もマスクをしていなくて、件の〇〇ちゃんはゴホゴホ咳をし続けている。お父さんもお母さんも咳をする〇〇ちゃんの口を何かで覆うこともせず楽しげに話し続ける。

子供たちと目で会話した。聞いた?ちょっと。。信じられない。。

でも店内は満席で動くこともできない。そうこうしているうちに私たちの注文がやってきた。こうなったらもうさっさと食べてダッシュで出るしかないな。。

私たちのオーダーしたものを見て〇〇ちゃんが騒ぎ出した。どうして〇〇ちゃんのは来ないの?私も天ぷら食べたい!食べたいーーーーっ!!ゲェッホゲッホゲッホ。。

癇癪を起こした〇〇ちゃんが大声を出しすぎて咳き込んだ。こちらに向かって。もちろん覆われていないし、お父さんもお母さんもにこにこしていた。あらあら天ぷら欲しいの。うふふ。


固まる娘たちに私は言った。

ねえ?わかったでしょう?日本の人はまだコロナに対する認識が甘いの。マスクも買い占められて手に入りづらいし、自分だけは大丈夫と思っている。自分の身を守れるのは自分だけなの。人がどうであろうと、あなたたちは手洗いうがいマスクを徹底してできるだけ外出しないようにしてね。まあ咳をするときは何かで口を覆うのはそれ以前のエチケットだけれど。咳ってね、何十メートルも先まで飛ぶのよね。


めちゃくちゃ嫌味なおばさんだったと思う。でも止められなかった。多分長女をここに置いていかなければいけない気持ちが余計に苛立ちを助長していたと思う。こんな人たちがいるところに置いていかなければいけないなんて。もしこの中に感染者がいたら?


お隣のご家族が急に静かになった。こちら側に座っていた〇〇ちゃんは、突然お母さんの横の奥の方に移されて不満げだった。


そそくさと食べ終えて、長女の住む部屋に送って行き、管理人さんに最後のご挨拶をした。

え、もう戻られるの?向こうは大丈夫なんですか?

はい、一応市内は落ち着いてきてまして。ただ日本との行き来が当分できなそうなので、何卒よろしくお願いします。本当は街中の人にお願いして回りたかった。うちの子一人暮らし初めてなんです、もしもの時は助けてください。よろしくお願いします。

管理人さんはにこやかに大丈夫、きちんとお預かりしますよ。お気をつけて帰ってね。


最後に長女も抱きしめた。いつもなら跳ね除けられるところだけれど、じっとしていてくれた。昨日も言ったけど、多分来年まで帰って来られないと思う。〇〇さん達にもよくお願いしておいたからね。何かあったらすぐに連絡してね。入学式一緒に行けなくてごめんね。お兄ちゃんとよく連絡取り合って。元気でね。


わかってるわかってる。ありがとう。


長女からありがとうを言われるのは何年振りだろう。横で聞いていた次女が、えー、すごい!長女ちゃんがありがとうって言った!すごいねお母さん!

そういうこと言うから小突かれるのよ、次女ちゃんは。。


その足でわたしたちはリムジンバスに乗った。翌朝帰るために、空港ホテルに泊まるのだ。夜のリムジンバスは空いていて、一番後ろに次女と並んで座った。他には前方に何人かいるだけでホッとした。


長女ちゃん泣いてたねえ。


次女が言った。え?本当?いつ?

おかあさんがハグした時、顔がくしゃってなってた。うふふ、長女ちゃんも泣くんだね。

そうか、泣いちゃうくらい不安だったのか。もっとゆっくり話したかったな。。話そうとしたらきっとうるさい、もう行って!と怒るんだろうけど。



ホテルにチェックインしてから、次女と空港のコンビニに夕食を買いに行った。夕食というには遅すぎたけれど、ささっと書き込んだお蕎麦だけではやっぱりお腹が空いてしまって、でもレストランに行く元気がなくて。そして何より日本のコンビニは楽しい。

ベトナムと違って上海には日系のコンビニがたくさんあって、お弁当やデザートも日本のように買えるけれど、やっぱり決定的に味が違うのだ。見知ったパッケージから想像する味と実際の味が違った時のなんとも言えない気持ち悪さ。大福がパッションフルーツ餡だなんて、誰が喜ぶの?


おにぎりやお菓子を選んで戻る道すがらにあったANAのカウンターに人混みができていた。多分最終便の時間だが、どうしたんだろう?

上海行きの最終便が突然キャンセルになったようだった。理由はちょっとまだわからないんです。確認中です。振替便も確認しています申し訳ありません。スタッフも慌てているようだった。その前で疲れ果てている人々。

明日の自分達かもしれないな、と思った。もし欠航になったらどうしよう?延泊できるかしら?でも一体いつまで?夫に相談しなくては。

混乱ぶりを眺めていた次女が、大変だねえ、と他人事のように言った。部屋に戻ってから、今の状況をなるべくわかりやすいように心がけて説明する。

あのね、今中国は海外との行き来を減らして国内の感染を抑えようとしているの。だから、飛行機の本数も減らして到着した人はたくさん手続きをしなくちゃいけない。飛行機から出るのに何時間もかかるんだって。その後もすごく時間がかかるから、夜になっても家に帰れないかもしれないの。家に帰っても2週間隔離されるから、私たちは外に出られないんだよ。

じゃあお父さんはどうなるの?猫ちゃんは?

お父さんは一緒に家にいられるかはわからないけれど、近所のホテルを一応予約してあるって。もし一緒にいられないなら、おかあさんと次女ちゃんが家にいられるようにホテルに移ってくれるって言ってる。猫ちゃんは家にいるから帰ったら一緒にいられるよ。

そういうとちょっとホッとしたようだった。猫はペットホテルが大嫌いでいつも痩せて帰ってくるから、自分達のせいでペットホテルに行くことになったらかわいそうだと思ったんだろう。よかった、猫ちゃんに会えるね。

とにかく明日の朝、飛行機に乗るまで、いや上海に着くまでは安心できないの。何時間も立ちっぱなしで並んだりもするから我慢してね。チェックインしたらできるだけたくさん食べ物を買ってリュックに詰めておこう。きっとお腹が空いちゃう。

そういうと、空港の天丼屋さん空いてるといいなあ、と笑った。


家に着くまでが遠足です。

使い古されたジョークのような言葉が何度も繰り返された。事前にインストールしておくと良いアプリも入れて、書類の記入例を何度も見ながら眠りについた。さて、がんばらないと。