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そのときわたしたちは-その5

ホテルに戻ってWifiを繋げると、次女の学校からメールが来ていた。夫の携帯も通知音が鳴り続ける。

「新型コロナウィルス感染拡大を防ぐために、国が打ち出した方針に従い、上海市政府から通達がありました。

旧正月期間を1週間延長する。

その後市内のすべての学校は無期休校。

これに伴い、当校も休暇明けも学校への登校は停止し、オンライン授業に切り替えます。詳細は追ってご連絡。。」


ああ、ついに来てしまった。

武漢とその周辺の省ではすでに町ごと封鎖したり、休校や通勤の禁止が決められているところもあると聞いてはいたけれど、中国のほぼ全土で適用されるようになってしまったんだ。

後からわかったことだけれど、この後の学校の対処は素晴らしいものだった。ローカルの学校はさらなる政府からの指示待ちでオンラインも開始できず3月まで休校が続く。日本人学校や他のインターでは、遅いところでは4月まで2ヶ月も何もせず待機していた。旧正月休暇明けすぐにオンライン授業を開始した学校はほとんどなかった。


とはいえ、今は中国にいないし、どうすることもできない。とりあえず旅行を楽しむか、と思っていたのだが、夫は事情が違った。

中国のこの大きな変化を日本の本社も知るところとなり、今後の対応について話し合わなければいけない。しかし、夫以外の日本人スタッフは旧正月で一時帰国しており、中国人スタッフもほとんどが帰省や旅行中。現地の状況がわかるのは夫だけ(まあベトナムにいるんですが)なので、ありとあらゆる問い合わせが夫のところに殺到していたのだった。

もちろん部屋はスウィートではないので、ワークスペースはない。夫はビジネスセンターやロビーに出向いてPCと睨めっこになってしまった。

いくらこちらが旧正月休暇中だと伝えても、他の国はほとんどが平日だったので、時差もお構いなしに連絡が来る。日本のスタッフは皆、中国全土が全て武漢と同じ状態で、我々在住邦人も命の危機のさらされていると信じて疑わないので、夫はいちいち武漢との距離や実際の感染状況、街の様子を事細かに伝えなくてはならなかった。

はい、そうです、こちらは場所も離れていて市内に感染者はほとんど出ていません。感染拡大を防ぐために規制をしているだけです。食料も物資も何でもあります。家族も全員無事です。


信じているとは思えなかったけれど。。


一夜明けて夫も、旅行の合間に仕事はするけれどせっかく来たのだからできるだけ楽しむ!と開き直った。対応していたらキリがないのだ。眠ることもできない。


そうと決まれば今日は予定通りホイアンの街をもっと楽しもう。私と次女は午前中に次女の恩師と再会する予定があった。彼女のオススメのカフェで。

昨晩彼女にリマインドした。

明日楽しみにしています。でももう一度確認したい。わたしたちは「あの」中国から来ているんです。もちろん全員健康。心配だったら会えなくても仕方がないと思っていますが大丈夫?正直に言ってください。


返事はNo problem!だった。彼女にしてみたら普通の返事だったと思うけれど、ありがたくて涙が出た。あのNo Chinese の文字。


彼女が指定したカフェは田んぼの中にあった。ホテルのレンタサイクルでくればすぐよ!と彼女。

レンタサイクル?でもホイアンには車の通れる大きな道路は少なくて、そのカフェもたしかに自転車の方が行きやすそうだった。Google地図を片手にカフェに向かう。


恩師に会うのは私と次女だけなので、夫と長女は別行動、と思っていたら、特に予定がないから一緒に行くと言う。挨拶したら別の席でお茶してるから、と。自転車4台、縦列でカフェに向かった。


少し迷ってたどり着いたカフェは本当に素敵な場所だった。田んぼに向かって置かれたさまざまな椅子やテーブル、ソファにベッドまで!

次女の恩師、Ms.Bとは8年ぶりの再会だった。ご主人とともにハノイに来たばかりの時受け持ったのが次女のクラス。彼女のおかげで1歳からナーサリーに通っていたもののセミリンガルでなかなか積極的になれなかった次女の言語能力が飛躍的に伸び、その結果お友達がたくさんできて幼稚園の最後の一年が親子共々素敵な思い出になったのだった。次女が大好きなMs.B。赤毛と緑の瞳の美しい彼女は、その後もご主人とハノイに住み続け、数年前にお子さん達を自然豊かな場所で育てたいとホイアンに移り住み、ひとつしかないインターで教師をしている。


8年前と変わらない笑顔で迎えてくれた彼女は、娘さんたちを連れていた。ブロンドのTと黒髪のI。Iはベトナム人で彼女たちの養女だ。Tの妹にあたる。Ms.B夫妻が何を思って彼女を引き取ったかわからないが、ベトナムには養子を求めてやって来る欧米人夫妻が珍しくない。

私が旧市街に行くたびに立ち寄ったカフェは、毎週定期的に養子縁組を支援する団体がミーティングを開いており、まだ乳児の次女を抱いて入ったら希望者と間違われたこともある。


MとIにはパンダのぬいぐるみやグッズをお土産に持ってきていた。二人とも喜んでくれたのでホッとする。日本人の中には、中国のお土産というだけで拒否する人もいるから。

え?お土産?いいのに、だって中国製でしょう?何使ってるか分からなくない?食べ物?嫌だ、大丈夫なの?肉まんに段ボール入れたりするんでしょう?

百万回言われて聞き飽きた言葉たち。言い返す気力も丁寧に説明する元気もない。


だから一応食べ物は避けた。まだ幼児だし、アレルギーの問題もある。

Ms.Bは次女の成長ぶりに驚き、思い出話に花を咲かせ、子供たちの話をして、あっという間に2時間も経っていた。子供たちも飽きているし、そろそろお開きの時間。ハグして次の再会を約束して別れた。考えたら久しぶりのハグだった。Ms.Bはいつでも公平で優しい。たいせつな年下の友達。


2時間もほったらかしでさぞかし怒っているんじゃ。。と思って夫たちのところに行くと、仕事する夫の横でベッドに寝転んでリラックスする長女の姿。

「もう帰るの?」

。。気に入ったんだね、ここ。

蓮畑に囲まれたオンボロ一軒家に住んでたんだもんね。大好きだよね、ベトナムの田舎。


昼食はまた別の友人と落ち合う約束があった。

「そこから畦道を下った先にあるレストランで。自転車が行きやすいですよ」のメッセージを見て目的地に向かう。好きだなあ、こののどかな感じ。私やっぱり上海の大都会に疲れていたみたい。