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そのときわたしたちは-その8

私たちが帰国した2日後にベトナムがロックダウンした。タッチの差で帰ってこられなくなるところだった。

上海も外出規制が始まり、街は閑散としていた。生活に必要なものを扱う店以外は休業になり、営業している店も営業時間が短縮された。入る時には検温がある。私たちのアパートの敷地の4つある門も2つ閉鎖された。人の出入りを管理しやすくするためだ。アパートの出入りの際も守衛による検温がある。出かける時平熱で、帰宅時に発熱してたらどうなっちゃうの?とよく夫と話した。実際それで帰宅できなくなった人がいるらしい。


大規模病院は全てコロナ治療に重点が置かれ、小さなクリニックは休業になった。日系の病院はほぼ全部がクリニックなので病気になっても行く場所がなくなった。

買い物には出られるが、大人数での外出は禁じられたので、夫が仕事を終えてから二人で出ることが多くなった。子供たちは見えない未知のウィルスを恐れて一切外出しなくなった。お出かけ大好きの長女でさえ、文句ひとつ言わずに家にいた。友達とのやり取りで深刻な状況を察知していたみたいだ。


こんな状況下でも、日系のスーパーが営業してくれたのは本当にありがたかった。在住十数年の女性オーナーは、SARSの時もなんとか乗り切ったからきっと大丈夫だと顧客のグループチャットで励ましてくれ、ローカルの情報などを都度配信してくれた。

ローカルニュースでは、毎日どこで何人感染者が出ているかを発信していた。少しずつ数が増えていく。2つある国際空港の一つは閉鎖され、フライトがどんどん減っていく。上海は経済の要所でもあるからロックダウンはしないだろうと言われていたが、隣の蘇州杭州が街を越えての移動を禁止した。蘇州は感染者0だったのでその維持のため、杭州は観光地のせいか感染者が増え続けていたための措置だった。

蘇州は上海から高速で1時間ほどなので、通勤している人も多い。職場が蘇州にあって、自宅に戻れなくなった人もいるという噂もあった。

杭州の外出規制は上海よりさらに厳しく、在住の友人に連絡を取ると、外出時間は毎週2回で朝9時から18時までで一回2人までになっていると言っていた。ええ!それは大変!と言うと、意外と大丈夫、デリバリーとネットスーパーがあるし。とのこと。やっぱり頼みの綱。

状況が深刻になるにつれて、多くの日系企業が社員と家族に対して帰国を促しだした。小さいお子さんのいるご家庭のほとんどはこのタイミングで日本に「避難」した。まだ日本の方が状況がはるかに良かったから。旧正月で帰国していた人の多くも戻ってくるのを一旦取りやめた。家族について帰る駐在員の方も多かった。

我が家は当面帰るつもりはなかった。夫の仕事もあるし、猫もいる。日本に戻る家もないし。唯一の気がかりは長女をどうするかだった。

長女は4月から日本の大学に進学する。そのため年末に迎えに行った時に住む場所を決め、契約もしてあった。けれども帰すべきかどうか?

今は日本の方が安全だけれど、クルーズ船の感染状況、その対応、経済優先で入国者を制限しない体制、PCR検査数の少なさ。懸案事項は充分にあった。ビザが切れるまでこちらに残した方がいいのでは?しかし、大学からは4月からの大学のスケジュールが普通に送られてくる。入学式の後は宿泊オリエンテーション、授業の選択はいつまで。。

長女は当然入学式までに帰国するつもりでいた。入学式までというより、3月の上旬には帰りたいという。中学時代の友達と卒業旅行に行くことになったからと。長女が唯一日本の学校に通った中学時代に仲良くなった友人たちが、長女が帰国するまで卒業旅行をせずに待っていてくれたのだ。絶対に行きたい。それまでに帰る。


ここでどうして長女のビザが問題になるかというと、これもまたこの国の特殊な事情がある。

中国の成人年齢が18歳であるため、家族帯同者用のZビザで在住している子供は満18歳で自動的にビザを失効してしまうのだ。18歳以降もビザが必要ならば、学校から留学生ビザを発行してもらうか就職してワーキングビザを取得するしかない。

長女はすでに18歳を過ぎていた上に学校も卒業していたため、年末に戻ってくる際に「家族だんらんビザ」を発行してもらっていた。こちらに在住している家族と過ごすために発行されるビザで、このビザを発行してもらうには、夫が大使館に長女と過ごしたい理由など必要事項を5枚にわたる申請書に記入して招聘状を発行してもらわなければならない。家族だんらんビザは一回限り、2回まで出入国可があって長女は2回のビザを取っていたが、春節にベトナムに行っているので日本に帰ったらもうそのビザは使えないことになる。


私と夫は何日も話し合った。結論は出ない。

日本の方が安全だけれど、避難している人たちの話を聞くと帰ってもとても大変そうだ。

それは「中傷」

中国から帰ってきたというだけで避けられる、近所中の噂になってあらぬ情報を流される、子供の体験入学を断られる、仲間外れにされる。

ひどい話では病院も断られていた。中国から帰ってきたんですか?ちょっと待ってください。すみません、こちらではちょっと診ることはできません。

帰国して何週間も経っていても、発熱ではなく怪我でも断られる。私の娘は10ヶ月で1週間39度の熱が続いているのにどこの病院も診てくれません。帰国して1ヶ月以上経っているのに中国から来たというとみんなことわられます。ご飯も食べられなくなってずっと泣いています。たすけて、どこにいけばいいの。

SNSに流れてくるこれらの記事が私たちをさらに不安にさせた。

長女を返して同じ目に遭ったら?近くに頼れる親戚もいないし、息子の住む街とも2時間は離れている。そもそも学生会館から中国帰りを理由に入居を取り消されたら?

夫の両親はすでに鬼籍で、私の両親もまた離れた場所にいるので、そこからだと大学には通えない。

長女の帰国の意思が固いので(それはそうだ。その当時自分のいる場所は外出規制で日本は自由に動けたんだから。)、私は関係各所に連絡と確認を始めた。まずは住むところから。

管理会社に中国から帰ること、帰って2週間は自主隔離をしてから移るつもりだが問題はないかどうか。管理人さんにも直接連絡をとって事情を説明する。

長女の住む場所の近くに住む友人たちにも連絡をする。万一の場合私たちがすぐに行くことが難しいのでどうか手助けしてください。

幸い皆さんとても好意的だった。特に管理人さんは、入居日前に荷物を送ってもいいと言ってくれた。私が部屋に運んでおくから大丈夫ですよ。

当然引越し業者もストップしているので、私と長女と次女の手荷物制限ギリギリまで長女の荷物を運ぶことにした。残りは現地で調達するしかない。家具付きの部屋にしておいて良かった。

長女を連れて帰るためのチケットはもうずいぶん前に買ってあった。長女の分の片道チケットを見るたびに、本当にいいのかと何度も考えた。

でももう帰るしかないよ。夫が言った。

大学に入学式から通いたいという長女の気持ちも充分わかるし、日本の方が安全だ。離れているけれど息子もいるし、きっと大丈夫だよ。


それに、送っていくなら今がラストチャンスだと思う。

夫の予想は当たった。いつも当たらないのに、当たらなくて家族でもー、またお父さんてば!と笑い話にするのに。

何で当たっちゃうのかな。こういう時ばっかり。