プライドのもちかた
ここ最近、やたらプライドが高い人たちを見た。
私も高い方だと思うけどここまであからさまになれないし自分をよくそこまで過大評価できるものだ、プライドが高い括りでも色々タイプがあるんだなあと冷静に見てしまった。何を根拠に “自分はすごい” って思えるんだろ。その自信はどこから?現実が見えないフィルターでもかかっているんだろうか、見ないようにしてるだけなのか。
私は自分をなかなか良い方へ評価できない。自分のことすら信用もしてない。謙虚とかいう美学じゃない、何に対してもそこまで自信が持てないのだ。なので自信も信用もないぶん物事には精一杯に取り組むし、それを蔑ろにされるとめちゃめちゃ腹が立つ。それが私のプライドだ。ダメ出しされることは別だ。ショックだし悲しいけど、伸びしろがあるってことに燃えるしバカにされたわけでもないから腹は立たない。腹が立つとしたらそれは情けない自分自身にだ。頑張って頑張ってなんとかこなせるようになってやっと自信がついて、またそれがプライドになって積み上がってく。
今いい感じの高さまできた。
でも、私が見てきた人たちは鼻をポキっと折られたら怒り狂ったり、事実を頑なに認めたくないような感じ。言い訳もすごかった。はっきり言ってめちゃくちゃカッコ悪るゥ、、って腹の底から思った。本音と建前はアメリカにだってしっかりある。険悪な状態を防ぐために思ってもないことを言うのはやっぱり大人のすることだ。それを理解し察する文化が根付いているのが日本なのだ。
派手さとか、奇抜さとか、突拍子のない人達をみるとカッコいいなぁと思ったりもする。でもそれは私じゃないしそんなの持ってないんだよね。人真似なんていやだ、そう思うことは明らかに私のプライドからだ。私のやり方を真似されることも嫌いだ。私はあなたじゃないし、人真似しかできないようなあなたに私の世界に入ってきてほしくない。派手だからとか奇抜だからとか突拍子ないからカッコよくみえるんじゃないんだな、自分軸があるからすきなんだ、きっと。
“プライド” の解釈やありかたもそれぞれだ、
最近そんなことを感じた。
ここに書き出せて良かった。