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第10回 道を尋ねるひとびと

今日、道を尋ねられた。家の近所での出来事だったので、無事、教えて差し上げることができた事案であった。
 
思えば私は昔から、やたらと道を聞かれる。老若男女、国籍を問わず、めちゃくちゃ聞かれる。旅先でも聞かれるし、仕事の都合で出かけただけの、最寄り駅と目的地までの道順しか把握していないような場所でも聞かれる。この現象は、インターネットやスマホの普及前後で差はない。とにかくすごい聞かれる。
 
そういう人生を歩んでいると、道を聞かれた場合の対応レベルを上げるしかなくなる。なぜならば、道を聞かれて目的地がわからない度に「すみません、わからないです」を繰り返し、罪悪感を積もらせるような生き方をしたくないからだ。本当に、そのくらい聞かれる。
 
そもそも道を聞かれるパターンには4つあって、以下のようになっている。
①言葉が通じる + 目的地も知っている
②言葉が通じる + 目的地は知らない
③言葉が通じない + 目的地は知っている
④言葉が通じない + 目的地も知らない
 
このうち、①は当然、日本語でも英語でも教えて差し上げる。昔は英語で話しかけられても日本語で返していたのだが、東日本大震災の際、世界中から贈られた「Pray for Japan」を目の当たりにしてからは考えを改めた。
 
続いて②であるが、これは私が教えて差し上げることが難しい。ゆえに、日本語を話す人の場合は交番が近くにあれば交番へ、なければ、そこら辺のお店の人や土地勘がありそうだなと思える人に声をかけて、目的地を知る人を探し、見つけた上でつなぐことにしている。ちなみに、「今日、田舎から出てきました!」風の女の子だったりすると、自分も赤の他人であることをすっかり忘れ、心配を胸に道を聞き終わるまで一緒にいたりもする。一方英語の場合、事はそう単純ではないので、「ちょっとわかりそうな人に道聞くから待ってて」と伝えて、付近の人に自分で聞く。流れとしては、その内容を英語にして伝えるということになるのだが、私の経験上、このパターンはだいたいうまくいかない。特に、観光客だろうなという人において。というのも、道を教えてもらって振り返ると、その人たちはいなくなっているというケースが散見される。これは推測だが、「ぼったくられるかもしれない…!」とか思われて、その場を離れたのだと思う。それはその人たちの育ってきた環境による感覚だから仕方ない。
 
③は英語が全くわからないって感じではなくて、私と同じく英語を公用語として使ってはいないなという人のパターン。この場合は意外と簡単で、普通に日本語と英単語でいける。なんなら「一緒に行こっか?」ってジェスチャーすると、「まじで!?」って大歓迎されるし、お互い言葉通じないけど、なぜか話は何となく通じる。
 
④も何とかなることが多い。このパターンの人たちは英語が話せないというディスアドバンテージを理解しているので、とりあえず何とかしてくれそうな人に頼るしかない、運だけど…! と、腹を括っている気がする。ゆえに、「私もわかんないんだけど、他の人に聞いてみるよ」ってジェスチャーすれば、普通に待っててくれるし、あとは③と同様に対応できる。
 
ところで、以前、外国人男性と交際している知人女性から聞いた話なのだが、彼の育った国では、血の気の多い人が少なくないものの、助けを求められたら、力になりたいという気持ちも強いのだという。
 
彼女いわく、「だからね、道を聞かれたりすると、絶対助けたくなっちゃうの。でもさ、目的地を知らない場合もあるじゃん? それでも、教えたくなっちゃうの。助けたいから。だからね、全然違う道を教えたりしちゃうんだけどね!」とのことであった。
 
そういう発想はなかったわ。

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