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いつかの緑色を探して

例えば私は、化粧というものをしたことがない。ゆえにアイラインとやらの引き方ももちろんわからない。豚肉の生姜焼きの作り方も知らない。だって作ったことがないから。だけれども人は、私がこれらのことをできるのだという。厳密に言うとできていたのだと。いったい何を言っているのだろう。今日もそんな思いを抱きながら食べた母が作ってくれた豚肉の生姜焼きは美味しかった。


そしてこれは、生姜焼きを(自称?)作ったことがない私のお話。


今から数ヶ月前のある日。気がつくと私は病院にいて、医師らしき人たちにしきりに名前や年齢を訊ねられていた。現在地や職業なども繰り返し訊ねられ、その度に素直に返答していた。あまりにも何度も訊ねられるので、何か違う返答をしない限り次に進まないルールの無限ループに陥ってしまったのかもしれない…、などと不安に思いながらそれでも変わらない返答をし続けた。

細かいことは省くが、そんな日が3日(体感は5時間)ほど続いて、医師から告げられたのは「どうやら玉手箱を開けてしまったかもしれない」ということだった。

もちろん、玉手箱の件は私の脳内で編集・再生したものだが、当時の私は実際に「まさか私が玉手箱を開ける日が来るなんて!!!」と驚き、それにしては驚きが足りないくらいに落ち着いてはいた。

人生には節目や岐路というものがあるという。私もそういったものを経り、積み重ねてきたと思う。恋愛も失恋もそれなりにしたし、高校・大学受験も乗り越えてきた。受験期は壮絶で涙ちょちょ切れたよ、ほんとに。

でも!!いくらなんでも玉手箱開けるセクションはないだろ!!!(人生に玉手箱オープンセクションがあった方、もしいらっしゃいましたら挙手願います。私はあなたと話がしたい。)



それはさておき、私の場合はというと、記憶の欠落が確認された時点から一定期間遡った数年間の記憶が欠落しているらしい。もっと言うと病院で目が覚めた時点から遡った数年間が欠落しているのだ。仮に私が20歳だったとすると人生の記憶が始まっている3,4歳頃から15歳までの期間は他の人と変わらず、問題なく覚えているが15歳のとある時点から20歳までの期間はまるで存在していないかのように記憶が欠落しているのだという。

俗には”記憶喪失”などといわれる状態であるが、「忘れている」とはまた違う感覚である。私自身は記憶をなくしているとか、何かを忘れているとか、思い出せないなんて感覚はない。わずかに思いつくことが点々とありはするのだが、数年間という時間には到底及ぶはずもなく、数年間の出来事を補うにはあまりにも微小だ。

こういう状態であるため、なくなっている期間の私自身の話や私に関する話を聞いても全く自分事のようには思えない。この感覚を私は「まるで前世の話を聞かされているみたい」と言い表すことにしている。例えば、特殊能力者に「あなたは前世では犬だったのよ。白い大きな犬で、赤い首輪をつけていて、飼い主は読書が趣味のおじいさんで、、、」と告げられているのと大差がない。そういうのと同じで客観的に想像することしかできないでいる。

ちなみに、私は自分の前世はたんぽぽな気がしてならない。風が強い日が大好きだし。「あなたの話はいつもたんぽぽの綿毛チック(飛躍しすぎ)だね」って言われたことがないこともないから。


ここで玉手箱ver.私の説明をはさむが、浦島先輩とは違い、私にはいじめられてるカメを助けたり、竜宮城で踊り散らかしたり、お土産に玉手箱を頂戴した憶えもなく、もちろん玉手箱自体を開けた記憶もない。皆様お気づきだろう、もはや玉手箱は全くと言ってよいほど関係ないということに。強引に玉手箱設定を続けるとするなら、私は複雑玉手箱ワールドの住民なのだ。なんだそれ。

これまたちなみに、玉手箱を渡す際のマニュアルは更に厳格化した方が良いのではないかと思う。玉手箱をもらった人で開けなかった人の話を今のところ聞いたことがない(自分も含む)。本当に開けてほしくなかったら、もっと厳重に説明をするべきだしそもそも渡すな!!!!

こういうところが綿毛チックなのだろうね。


はてさて、退院した後は実家で過ごしている私である。記憶が欠落しているとほのかに認識する瞬間や違和感は意外にも日々に転がっているものだ。

5歳も歳が離れた弟が自分と同い歳になっていたり、私の部屋にある物の多くに身に覚えがなかったりする。テレビをつければあまりにも目新しいことばかりだし、スマホの中では、育てた覚えのないウーパールーパーが育っていたりする。家の外に出てみれば、近所のおじちゃんおばちゃんがより一層おじちゃんおばちゃんになってるし、お店のレジ袋が有料になっていたりする。

”当たり前”というものについていけないと、自分はこんなにも不安になる人だったのかと実感する。世界や社会についていけない感覚に陥ると、容易く宙ぶらりんを味わえるものだ。幼い頃は何度か宙に浮く能力をほしいと思ったことがあるが、決してこういうことを望んでいたのではない。あの日の私よ、地に足をつけておける方がよっぽど安心だぞ。


そんな中で1番違和感があるのは意外にも自分の好きな色である。今、好きな色を聞かれたら「緑」と答えるが、実はなんで好きなのかが全く分かっていないのだ。私は色に限らず、好きなものには理由があるはずだと思っている。きっかけとか思い出とか、好きなものとそれを好きな理由は様々にしてもセットなはずだと。なんとなく好き、みたいなものもあるとは思うが、少なからず私はなんとなくで好きな色が定まっていた経験はない。緑色を好きだった時期が覚えている限りないし、特別似合う色だという自覚もない、もちろん理由にも心当たりがない。家族や友人に聞く限り、推し??と言われるものの担当カラーとか知らないうちに恋焦がれた人が貸してくれたハンカチの色とかでもなさそうだ。とにかく好きな理由は分からないのに、確実に好きな気持ちだけは残っているのだから一際違和感があるのだろう。


このように綿毛チックにふわふわと文章を書いているが、自分の現状に不安にならない日はないのも事実だ。違和感まみれの中で、自分が変わってしまったような気がしたり、一方で現状から変われないような気がしたりして失望感に襲われる。それは記憶にある私自身とその理想から逸れてしまっている気がするからだ。

思えば生まれてからこのかた、大小に関わらず目的なく生きていたことがない。自分で洋服のボタンを留められるようになりたいとか、縄跳び100回飛べるようになりたいとか、行きたい学校がある、なりたい職業があるから学力を高めたいと思っていたし、そのために毎日学校の授業の予習復習をしていた。人が笑っていると嬉しいから人には優しくするし、困っている人がいたら手を貸すし、自分のあるべき姿みたいなものを明確にもっていてそれに沿って生きていたからだ。

しかしこういう状態になって、何もわからなくなったような気がして不安になる毎日で、どこに向かって人生の歩みを進めれば良いのかも、自分がどういう人でどんな人でありたいのかもわからずに、その場足踏みすらもできていないような自分にうんざりする。

ただ、実はこういう時に考えるのは私が緑色を好きだということだ。

日々の積み重ねや自覚みたいなものをなくして、得体が分からない不安に押し潰されそうになった時、生きる意味みたいな壮大なテーマを考えてしまいがちだが、私にとっての生きる意味は今は、緑色が好きな理由を知りたいからで充分だと思い至るようにしている。かつての私が思っていた、自分の力でキャリアを積みたいとか好きな人と一緒にいたいとか、現実的で多くの人が納得するようなものだとかじゃなくてもいいのだと思いたい。

なんで緑色が好きなのかを知りたいから生きてるというのは人からしたらあってもないような生きる意味かもしれない。それでいいよね。生きていく先にその答えがあってもなくてもいい。仮に見つけたとして笑えるくらい陳腐でありきたりだとしてもいい。そんな生きる意味を簡単に越えるくらいの意味を見い出せる日も来るかもしれない。いや、きっと来る。

だけど今はただ、私が緑色を好きな理由を知るために今日を生きたい。いつか素敵な緑色のカメに再会できるのを期待して。



追記:)私にたくさんの安心をくれる家族、友人をはじめとした全ての方へ。私はみんなを心から愛しています。これまでも。これからも。

そして、美味しい豚肉の生姜焼きの作り方をご存知の方!教えてくれたら嬉しいです!お待ちしてます^^♪

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