見出し画像

自分の言に責任を持つということ

頻出フレーズ

何か迷惑をかけたり恩を受けた時に、
「今度奢るから!」
その場で生じた罪悪感や感謝の表明としてよく聞くフレーズである。
しかしながら、言葉通りにちゃんと食事に連れていくケースが果たしてどのくらいあるのだろうか。
言った方も言われた方もその約束など忘れていれば、もしくは両者ともにその約束をただの社交辞令で実際に果たされないものと考えていれば問題はない。
ただし言われた側のみがそれを覚えていた場合(そしてこのケースが割と多いのではないか)、いつまでも果たされない約束、自分からはその話題を切り出しにくいという気まずさなどが重なって、相手に対する不信感につながってしまうだろう。
おらの私生活でも実際にそういうことがあった(n > 1)。ある同じ大学の生徒(の卒業研究にボランティアで参加して、合計4時間くらいマンツーマンのオンラインインタビューに応じた。それも後半の2時間は彼の追加インタビュー要請によるものだった。
インタビュー自体は面白い内容であったし、ボランティアなのだから見返りを求めているわけではなかったが、彼はインタビュー後に「お礼に何か読んでほしいエッセイがあったら見るよ」みたいに言ってくれたのだ。じゃあせっかくだからと数ヶ月後に読んでみてーとエッセイを送ったら「今忙しい時期だから待ってね」の返事。そしてインタビューから2年以上が経っても、終にエッセイの感想をくれることはなかった。(うろ覚えなので表現に脚色の可能性あり)
極端に言えば彼はおらを一人の人間としてではなく、ただ研究のデータとして捉えていたってことなのだろうか。だってデータだけ人から持っていって、自分が結んだ約束は放っているのだから。どこに協力者への感謝の形が感じ取れようか。悲しい。

約束は約束、大切に

書いてて思い出しむかむかの気持ちが湧いてきましたが、言いたいことはシンプルです。

果たす気のない約束はしないでほしい。
そして約束したなら果たすために強く努力してほしい。

そうでなければただ単に約束した相手との関係悪化に繋がりかねません。

仮に約束果たす気満々で忘れることなく実現しようと頑張ってるけどうまく行ってないとか、どうしても難しい時は素直にそう教えてくれれば嬉しいです。そしたらとても納得できますし、健気に約束を守ろうとしてくれている姿に好印象を抱くと思います。

(緊急の事態は理解できるがそれ以外の理由で)約束を忘れる、果たさない、果たせないんならそもそも約束なんてしないで。期待させないで。そんなものなければそもそも期待しないのに、貴公が約束持ちかけてくるから、そんで中々果たしてくれないからおらが一人でモヤモヤいらんことになっとるんでしょうがい。
例の大学生もそうですが、「忙しい、約束を忘れてた」なんて言い訳に興味はなくて。忙しい、大変な中でも忘れることなくその約束を果たしたい、そのくらいの強い気持ち、感謝や謝罪の念があって初めて約束を結ぶに至るべきなんじゃないかと思います。だからこの例であれば、「エッセイ見るよ」とか言わないで欲しかったなーと思います。少々手厳しい物言いですが。仁義にうるさいんですなおらは。

ただここでいう約束は、相手へのお返しとかお礼という意味での約束に限ります。「二人で一生幸せに生きていこう」的なお互いに貸し借りとか関係ない約束の話ではありませんので悪しからず。

あとがき

割と昂った感情がのった文章になりましたが、いつも通り何かしらの気づきにつながりましたら幸いです。書いてるおら自身も軽い約束であっても安易な気持ちで結ぶのは良くないなと改めて感じました。誠実に生きていきたいです。

読んでくださり、ありがとうございました。
どうぞ今後もご自愛ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?