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駆け出しアイドルRPGビギニングアイドル/ひまわりの咲くころに

 10月25日、木曜日。
 まさか東京に戻ってくるのに2ヶ月もかかるなんて思っていなかったけれど、みんなでなんとか無事に辿りつくことができた。線路は各地で寸断されていて、あちらを迂回し、こちらに後戻り、途中を徒歩で繋いだりと、結構大変な旅だった。空襲で焼けてしまった街には焼け出された人もたくさんいた。そうでないところでもいろいろと混乱していて、みんな落ち込んだり、怒りっぽくなったりしていた。軍の列車に便乗した行きの旅のように「のどかな汽車の旅」というわけには到底いかなかった。
 東條さんは立場上基地に残らないといけなかったけれど、3人だけでは危なかろう、と基地司令が山田さんを同行させてくれたのはほんとに助かった。山田さんとはご実家のある小田原でお別れしたけど、無事にご家族に再会できたかしら。

 鰆さん(すださん)と菊ちゃん(あやめさん)と3人でとにかく星影座に戻って支配人に再会できた。
 わたしたちが出発したすぐ後に東京は空襲に遭ったそうで、星影座も無傷というわけにはいかなかった。支配人から「怪我をした人はいたけれど、亡くなった人はいない」と聞いてほっとしたけれど、劇場はしばらくお休みする。建物は焼け残ったものの酷い有様だし、第一お客さんが来られないからって。
 菊ちゃんとわたしがすこししょんぼりしていたら、鰆さんが「おやおやふたりとも、そんなに仕事がしたいですか?それでは早速明日から朝練でもしましょうか」なんて、いつものあの調子で混ぜっ返すものだから、つい笑ってしまった。鰆さんはいつだって星影座のみんなのことをよく見ていて、どうしたら物事がうまく進むか考えてくれている。遠回しな言い方をするからせっかくの忠告?が読み取れないこともあるけど、後になって「ああ、鰆さんがいってたのはそういうことだったのか」って思うことがたくさんある。

 慰安会の前の日の夜、鰆さんを見かけたとき。男の人があんなに静かに泣くなんて、初めてみたから。見てはいけないものを見てしまった気がして、声がかけられなかった。
 翌日の慰安会で鰆さんが舞台に立って英語の歌を歌ったのにはびっくりしたけど、すてきだったなあ。きれいで、穏やかで、優しい男の人が、あんなに色っぽく歌うの、初めてだった。その後は菊ちゃんもステージに上がって、3人で歌った。菊ちゃんがずっと踊りを教えていたから、兵隊さんたちもみんな一緒に踊ってくれて、華やかで、賑やかで、楽しくて、みんなにこにこしてた。人を笑わせることばっかり考えてた鰆さんが、すごくすてきに笑っていて、ちょっとドキッとしたけど、これは内緒。

 新宿はどこもかしこも瓦礫の山。車椅子の支配人が大変だし、女優さんの中には帰るうちがなくなっちゃった人もいるから、鰆さんはまた劇場に住み込みでお世話することになった。

 その後ふたりで菊ちゃんの家にいった。おじさんもおばさんもお元気で、帰ってきた菊ちゃんを見てすごくびっくりしてた。半年ぶりだし、2ヶ月も消息不明だったんだものね。工場のみんなも涙と鼻水ですごいことになりながら、でもみんな笑って菊ちゃんを迎えてた。
 工場はもうすぐ再開するから、菊ちゃんはお手伝いが忙しくなりそう。劇場はしばらくお休みだけど、兵舎をお掃除しながら話したときに教えてくれた「踊りの先生になる」って夢を、菊ちゃんはきっと叶えるんだろうと思う。だって、酒保で健康体操(笑)講座をやったときの菊ちゃんは、ほんとにかわいくて、いきいきしてて、みんなを笑顔にしていたから。

 大井町の駅前もすっかり風景が変わってしまっている。家は無事だろうか。お兄ちゃんは。
 もうすぐ日が暮れる。ひとりは寂しいな。うん、こういうときこそ歌ってみよう。歌えばきっと、なんとかなる。あの日鰆さんが歌ったあの歌。「世界は素晴らしい」って意味なんだって。いまはもう、英語の歌を歌っても怒られることはないしね。
 うん。ちょっと焼け焦げちゃったけど、それでも世界は素晴らしくて、アイドルは楽しい。

 家が見えてきた。灯りがついてる!
 「ただいま、お兄ちゃん!佳帆だよ、帰ってきたよ!」

 駆け出しアイドルRPG #ビギニングアイドル
 「ひまわりの咲くころに」
 作・P ユウさん

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