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白い息(創作シナリオ)

※このシナリオはドラマ脚本をベースにしています

「白い息」

●人物
田中幸四郎(68)無職
田中聡子(65)幸四郎の妻

〇階段
いかにも年期の入ったコンクリートで造られた階段が続いている。

壁に囲まれていて明かりもなく、暗い。壁には長い亀裂が入っていて今にも崩れてしまいそうだ。

乱れた人の呼吸が聞こえる。階段の手すりを掴みながら、苦しそうに上ってくる田中幸四郎。

その幸四郎に手を引かれながら、やはり苦しそうに上ってくる田中聡子。

二人は力を合わせるかのように懸命に上を目指している。階段を上りきると、そこには錆び付いた扉があった。

扉を見ると、顔を見合わせる二人。

幸四郎、その扉の取っ手を引くが錆び付いているためか、中々開かない。聡子もその取っ手をつかみ、二人で力を合わせて、せーのと取っ手を引く。すると勢いよく扉が開いて、その勢いのまま二人はしりもちをついてしまった。

扉から明るい陽射しが飛び込んできて、眩しそうにする二人。その息は荒い。

〇ビルの屋上
屋上からあたりを見渡すと、近代的な建物ばかりで灰色の景色が広がっている。

そのビル群の中でも一際高く、古いビルの屋上。扉が開いて幸四郎と聡子が手を繋いで出てくる。

幸四郎は少しあたりを見渡すと、おもむろにその場に仰向けに寝転んだ。そして息を大きく吸い込む。

幸四郎
「…着いた~!」

聡子も隣にしゃがみ込む。

聡子
「えぇ、疲れましたね」

幸四郎
「俺たちも本当に歳をとったんだなぁ」

聡子
「なんですか今更」

幸四郎
「いや、若いころだったら階段を上るくらい容易いもんだったがなぁ」

聡子
「そうかしら」

聡子はふふっと可笑しそうだ。

幸四郎
「…まぁ、死ぬ前にいい運動が出来てよかった、よかった」

聡子
「…そうですかね?私は嫌ですね。死ぬ前にはぁはぁ息を切らすなんて」

幸四郎
「なんだ、お前は相変わらずマイナス思考だな」

聡子、俯く。

聡子
「…私たち、今日が本当に最後の日になるんですね」

幸四郎
「なんだ、ここまで来て。引き返すか?」

深く息を吐く聡子。

聡子
「…いいえ」

雲を見つめている幸四郎。空は曇っているが、雲間から射し込む陽射しが眩しい。やがて、その太陽も雲に覆われてしまった。風が吹き、ぶるるっと震える幸四郎。

幸四郎
「さすがにまだまだ寒いな」

ふと、幸四郎の手を取る聡子。

聡子
「あなた、爪が伸びてる」

と、ポケットから爪切りを取り出す。

幸四郎
「なんだお前、そんなもの持ち歩いているのか」

手を取り、幸四郎の爪を丁寧に丁寧に確かめるように切り始める聡子。

聡子
「…私たち、結局子供には恵まれませんでしたねぇ」

パチン、パチンと爪を切る音。

幸四郎
「…ばか、俺はよぉ、お前と二人で生活が出来てよかったぞ」

聡子、嬉しそうに

聡子
「あらあら、あなたがそんなこと言うなんて珍しい」

照れくさそうに顔を逸らす幸四郎。パチン、パチンと爪を切る音が響く。

幸四郎
「…なぁ、やっぱり引き返さないか?」

聡子
「どうしてですか?」

幸四郎
「…老人二人で飛び降り自殺なんて、洒落にならないぞ。社会迷惑だ」

聡子
「今更なんですか。それじゃ人目につかない場所で毒薬でも飲みますか?」

幸四郎
「…いや、そうじゃなくてだな…」

パチン、パチンと爪を切る音。

聡子
「はい、終わりましたよ」

むくりと起き上がる幸四郎。

幸四郎
「お前には本当に世話になった」

聡子
「それは私のセリフですよ」

幸四郎
「…なんだったら、あれだ。お前だけ引き返してもいいんだぞ?」

聡子
「それも私のセリフです。怖いならあなただけ引き返してくださいな」

幸四郎
「そんなこと出来るわけないだろ!」

と、聡子の肩をつかむ幸四郎。

聡子
「…ですから。私も同じです」

俯く幸四郎、またその場でゴロンと仰向けに転がる。

幸四郎
「…なぁ、天国とか地獄って本当にあるのかな」

聡子
「どうでしょうねぇ」

幸四郎
「俺、結構若いころに悪さしてたからさ、俺だけ地獄に行っちまうかも。あ、つい前にもあれだ。デパートで万引きしようとして、あの時はお前にも迷惑かけてさ…」

聡子、笑って

聡子
「落ち着いてくださいよ」

幸四郎
「…だってお前、お前が天国行って、俺が地獄に行っちまったらよ…あれだ」

聡子
「万が一そうなったら、私が天国から地獄に引っ越しますから」

幸四郎
「そ…そうか?」

聡子、噴き出して笑う。

聡子
「可笑しい。こんな子供みたいな話して」

突然突風が吹き、チラシ広告がその風に乗って飛んでくる。そのチラシが幸四郎の顔に覆いかぶさり、幸四郎は慌ててチラシを手に取った。

幸四郎
「おいおい、なんでこんなところまでチラシが飛んでくるんだよ。まったく…」

聡子
「あら、これ近所のスーパーの広告」

と、チラシを食い入るように見る聡子。

聡子
「あらあら、改装閉店セールですって。あら、お野菜が安い。ほら、あなたの大好きな鰻のタイムセールですって」

幸四郎、そのチラシを奪い取る。

幸四郎
「ばか、お前、これから死ぬってときにそんなもん見てもしょうがないだろ」

聡子
「…そうでしたね」

俯く聡子。

幸四郎、そのチラシを折りたたんでいき、紙飛行機を作る。

聡子
「あら、懐かしい」

幸四郎
「最近はこういう紙飛行機もあまり見なくなったな。昔はよく折ったよな」

聡子
「そういえばあなた、手先は器用でしたね」

幸四郎
「こんな紙飛行機なら誰でも折れるかもしれないが、俺は折り紙なら100種類以上は折れるぞ」

得意げな顔の幸四郎。

聡子
「あら、そんなこと知りませんでしたよ。他にどんなものが折れるのかしら?」

幸四郎、立ち上がる。聡子、それを見て慌てたように

聡子
「あなた、今夜は鰻にしますか?ほら、まだタイムセールの時間に間に合いますし」

幸四郎
「………」

深く呼吸をする幸四郎。聡子に手を差し伸べる。
聡子、幸四郎の手をしっかりとつかんで立ち上がる。

幸四郎
「決めたことだ。もう引き返せないな」

聡子
「…そういえば、昔からあなたはそうやって頑固でしたね」

俯く幸四郎。

その地面に雪が落ち、しみ込んでいく。ふと空を見上げると、雪が降り始めていた。

幸四郎
「…雪だ」

聡子
「…雪ですね」

少しの間、雪を眺めている二人。

幸四郎、聡子の手を引いて柵まで歩くと、紙飛行機を構える。

幸四郎
「こいつに先に飛んでもらおう」

幸四郎、紙飛行機を柵の外めがけて投げる。ところが紙飛行機は風に乗るとUターンして戻ってきてしまった。思わず笑う聡子。

聡子
「引き返してきちゃいましたね」

幸四郎
「そう上手くいかないもんだな」

と、幸四郎も笑う。

降り続けている雪。

〇回想・田中家・縁側
昔からある日本家屋といった佇まい。その縁側の軒下に、幸四郎と聡子がお茶を手に並んで座っている。

晴れ渡る青空。その空を眺めて、穏やかな表情の二人。

聡子
「…気持ちいいですねぇ」

幸四郎
「ああ、いい天気だ」

聡子
「時間がゆっくり流れているみたい」

幸四郎
「ああ、落ち着くな」

〇元の屋上
柵を乗り越え、向こう側のふちに手を繋いで立っている幸四郎と聡子。雪は降り続けている。

顔を見合わせる二人。二人の吐く息が白い。

聡子
「あなた、息が白い。寒いの苦手でしょう。大丈夫?」

幸四郎
「お前こそ、平気か」

途端、二人は表情をこわばらせ、お互いの体温を確かめるように抱き合う。
そのまま外側へと倒れこみ、落下する二人。

屋上に残った紙飛行機が風に吹かれ、カサカサと音をたてている。

(終)


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