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さて、そろそろ咲きますか                    #4 樹木たち・・

さて、そろそろ花を咲かせようかのう、皆の衆。

と、ブナやナラは、花を咲かせる時期を仲間と相談して決めているそうな。
えっ、木というのは毎年花を咲かせているのじゃないの、と思った人もいると思う。そもそも、木が相談などコミュニケーションを取り合っているなど御伽噺の世界のことだと、思っていると思う。

何を隠そう、私も花が咲くというのは、自然現象のように思っていました。朝になったら太陽が上るように、その季節になったら木には花が咲くものだと。

つまり、木が生き物であることを忘れていたのです。
生き物であれば、当然生きる欲求と、子孫を残そうとする強力な欲求があり、それに基づいて、いろいろな行動活動が行われているはずなのだ。

木はなぜ、花を咲かせる時期について、相談しなければならないのか。
それは、一斉に花を咲かせると、多様な遺伝子を受粉できる可能性が高まり、ひいては、種の強化につながるからだ。

毎年花を咲かせないのは、これまた生き延びるためだ。
花を咲かせるというのは、結局のところ実、すなわち種子を作ることだ。
実を生らせば、この実を食べる動物、例えば猪とかがいる。

もっとも、毎年花を咲かせる木も、もちろんある。
針葉樹は、

せっかく実を作っても全部猪に食べられてしまうようなことがあったら、たまらん。大体、実をつけるには(花を咲かせることもだが)、すごく体力を使う。人間が出産直後は、体力を消耗しているのと同じく、木も体力を消耗する。

例えば、ブナやナラのように、3〜5年に一度花を咲かせる木は、花を咲かせると生活のリズム大幅に狂ってしまい、弱るという。
大体、枝には花を咲かせる場所がないので、葉っぱにその場所を譲らせる。
つまり、葉を落とす。

だから、花を咲かせた年は、花が枯れて落ちると、なんともみすぼらしい姿になり、森全体が大病にでも罹ったように見えるという。
その上、葉を落とし生産性の落ちた体で、実を結ばなかればらないので、エネルギーの大半を実を作ることに使ってしまって、ほとんど余力がなくなっている。

こんな時に病気になったり、害虫に襲われるなどすると、ひとたまりもなくやられてしまう。
いわば、花を咲かせ、実を結ぶのは、木にとっては命懸けなのだ。
だから、実を無駄にしたくはない。

そこで、花を咲かせない(つまり実を結ばない)年を作る。
そうすると、猪(例を猪に取ると)はどうなるか。
子供を孕んだ猪は、食糧不足になって餓死し、猪の数が減る。

そうなってから、木は、やおら花を咲かせ実を結ぶ。
これで、実を猪に食べられる危険性がだいぶ減る。
とまあ、こんな具合に、木は花を咲かせたり、咲かせなかったりしている。

といっても、これは実をつける広葉樹の話で、そもそもそ、あまり実を食べられる危険のない針葉樹は、毎年大量の花粉を撒き散らす。

このように、木が花を咲かせるのは、体力を消耗するリスクを伴う行為なのだが、弱った木は、かえって花を咲かせるという。
また、異常気象で夏の空気が乾燥して、立ち枯れが目立つような、森の木全体が弱っている年の翌年も花を咲かせるという。

死ぬ間際に、あるいは死の危険が迫っている時は、最優先事項として、子孫を残すことに専念するということのようだ。

なんとも、生物というのは健気なものだと思わざるを得ない。

ちなみに、これだけ一生懸命努力して、一体どれだけ次の世代を引き継ぐような成木になるかというと、これは統計上数字が出ている。

統計上、1本の親木は1本の木を立派に育て、自分の場所を明け渡す。
つまり、後継者は一本のみ。

ブナに関していうと、生涯に180万個くらいに実をつける。
ポプラなどは、10億を超える種を作るという。
それでも、後継になることのできる木は、一本。

だから、立派に成長している木は、超エリートということになる。
あんまり、切ったり、傷つけたりしたくなくなりませんか。
私は、なりましたけど。


このシリーズは、「樹木たちの知られざる生活」を読んでまとめているものです。






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