白帯の時が一番強くなる
私が修行した空手道場では、入門して1月も経たないうちに組手をさせられた。(組手というのは、試合だと思って貰えばいい。)
それも約束組手ではなく、自由組手というやつ。
なおかつ、流派のルールは剣道のように技が決まったら一本というのではなく、どちらかが倒れて初めて勝敗が決まるというものだった。
当然、寸止めではなく直接打撃制。つまり、お互いに蹴り合い、殴り合いをして、相手が倒れたら勝ちというルール。
普段の生活の中で、他人を殴ったり蹴ったりすることは滅多にない。
というか、普通の大人であれば、ない。
叩いたり(殴るじゃない)、掴みあったりのケンカは、小学校以来したことがない。やっていれば、今頃前科もちだ。
そのうえ、大人が殴ったり蹴ったりするのだから破壊力が違う。
小学生のケンカなら、せいぜい鼻血がでたり、口の中が切れたりぐらいですむが、大人の場合は、骨が折れたり、歯が飛んだり、場合によっては大ごとになる。
そして相手を倒す。
倒すというのは、転がすのではない。
相手を失神させる、あるいはそれに近い状態にして、一時的に戦闘不能にする。これが、倒す。
これを入門して1月も経たないものにやらせるのだから、無茶といえば無茶。
怖い。
死ぬほど怖い。殺されるのじゃないかとマジで思う。
技の使い方は実戦の中で身につけるのが一番、あるいは実戦の中でしか身につかないという考えだったのだと思う。
しかし、やらされる方はたまらない。
まだ、基本技も覚えていない。
どうやって戦っていいのか、わからない。
パニッ〜ク。
どうしろというのか・・・。
どうしようもない。
どうしていいかわからず、恐怖で縮み上がっていると、相手が向かってくる。こちらが向かわなくても、相手が向かってくる。
戦わざるを得ない。
それでも、これが普段の練習の時ならまだいい。
お互いに、技の確認みたいな気持ちでやっているので、致命的なダメージを与えないよう手加減しながらやっている。
しかし、これが数ヶ月毎にある昇段審査になるとそうはいかない。
みんな自分の昇級、昇段がかかっているから、真剣だ。マジになる。
組手の時間が長引けば長引くほど、たとえこちらが強くても、攻撃を体で受け続けるのだから、ダメージは累積してきて大きくなり、2人目、3人目と戦うためのスタミナも減ってくる。
いきおい早く倒して、力を温存しておこうという気持になる。
だから、力一杯、あばらも叩き折る、足もへし折る、顔面蹴り飛ばす、くらいの気持ちで向かってくる。
手加減なんかしておれない。
特に白帯同士の戦いになると、空手の技など使えるはずも無く(だいたいまだ覚えてない)、ただの素人の殴り合いになる。
これが、ぶち殺すと思って向かってきているかどうかは、わからないが、とにかく手加減なしで「倒しに」くる。
急所を攻撃してはいけない、顔面を拳で攻撃してはいけないという、ルールはあるが、悲しいかなルールを守るだけの力がない。
故意ではなくとも、禁じ手の急所や顔面に入ってしまうこともある。
空手の戦いではなく、ただのケンカ。
その上ケンカなら成り行きで、ことが起きるので、実力行使に及ぶときはすでに興奮しているので怖いとか思わない。
しかし、空手の組手は偶発的に起きるのではない。
何月何日何時から、行うとあらかじめ決まっている。
当然それまでの間に、色々考える。
大怪我をするのではないだろうか。
下手をすれば、殺されるのではないだろうか。
等々・・・・
怖い! 怖い! 怖い! 正直マジで怖い。
だから、審査の前日は眠れない。恐怖で。
逃げられるものなら逃げたいと思う。
何か突発的な事が起きないかと本当に思う。
審査を欠席しても、逃げたと思われないような、何かが起きないかと。
私はどういうわけか辞めなかった。
毎回死の恐怖に直面しながらも、辞めなかった。
入門して1〜2年経った頃、そういえば、自分は辞めなかったな、なぜだろうと考えたことがあった。
特別根性があったわけではないのは、自分が一番よく分かっている。
なぜだかわからなかった。
とても不思議に思ったことを覚えている。
そのうち、だんだん空手の実力もついてきて、攻撃の捌き方、受け方も覚えてくる。それに伴って、だんだん戦いそのものに耐えられるようになってきて、大抵の相手には怯まなくなってくる。精神的にも強くなったと言われる。
だけど、なんか違うのじゃないかと思ってた。
実力がつけば、つまり空手が強くなれば、強い相手と対峙しても、怯まなくなる。それは、倒されないという自信からくる。
空手を修行するというのは、この自信とそれを裏付ける技を身につけるためにやる。
だけど、こうやって強くなってくると、死の恐怖に対峙することもなくなる。死の恐怖に直面しながら、それでも逃げずに耐えるという鍛錬をしなくて良くなる。
だから、白帯の時が一番、精神の鍛錬になったように思う。
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