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新規事業における「WILL = 原体験?」のちょっとした疑問

新規事業開発に限らず、最近ではWILLという単語がビジネスの場で広がっています。(私が耳にしたのは一年ほど前でだいぶ遅いほうです)

学校英語では、WILLは「助動詞」として、未来形のときに使うと教わると思います。

WILLは名詞として使うと、「意志」という意味を持っています。
「free will」=「自由意志」や、iron will=「鉄の意志」などですね。

このWILLの背景には、イノベーションが求められたり、全体主義から個人主義、拡大再生産の限界、少子高齢化による市場の変化など、2000年代初期まで蔓延っていた上意下達での業務指示では事業が立ち行かなっていることがあると推察しています。


新規事業の世界で一つ疑問なのは、

WILL = 原体験(幼少期や人生を揺るがすような大きな体験)

と捉えられているような印象が強いことです。

もちろん、原体験 → 新規事業提案 → 事業化、というストーリーは否応なしにインパクトがあります。印象にも残りやすく、他者への伝搬力も感じます。

一方でそういった原体験がないことをマイナスに捉える必要もないのではないかと思っていますし、むしろそんな原体験などなく自身の経験や事業機会に着目されたアイデアで全然OKではないでしょうか。

実際に、私自身も「原体験」に基づいて事業化をしてきたわけではないですし、私の周りの大企業イントラプレナーとして、スピンオフやスピンアウトないし事業化した人にも原体験的なエピソードが無い方がいます。
多いとか少ないを語るほどサンプルは無い(N=15くらい?)のですが、いわゆる原体験が無い方が多い印象です。
(むしろ、そんなに強い原体験があるなら、イントラプレナーではなくアントレプレナーのほうが向いているのでは?とすら思う)

有名な話であり、私もお話を伺ったことがありますが、孫さん(孫正義社長)も、あらゆる事業候補をリストアップして、自己評価をし、その中でITに着目した、ということでは立志伝としての原体験はあれど、事業を選ぶ、という観点では特に原体験とは関係していない印象です。


「Why you?」を素直に受け取り過ぎないこと


おそらくこれは「Why you?」という質問を素直に受け取り過ぎなのではないかと考えます。

小学校の読書感想文を、その本を読んだ感想を書くもの、と捉えると「面白かった」としか書けない、と嘆く子供と通ずるものではないでしょうか。
読書感想文は感想ではなく、その本の自分なりの解説をするもの、すなわち「読書要約文や書籍説明文」と捉えると書きやすい、という捉え方と同義です。

「Why you?」とは、なぜあなたが取り組むのかを教えて?という質問であって、必ずしも原体験が聞かれているわけではありません。

例えばそれは前職や今の仕事をしていて気付いた歪みだったり、言われてみれば確かに!と強く感じられる課題に着想したということかもしれません。
課題解決に必要な経験やスキルを有している、ということかもしれません。
大きな目的もなく趣味や何かに取り組むうちに、その分野に詳しくなって情熱が湧いてきた、という程度でも答えといえば答えです。

一度事業化の体験や失敗をして、次やるならこうするのに、という結果的に原体験につながるようなエピソードもあるでしょう。
(私の3度目の事業化はこれに近いです。1−2回目での特にキツい体験をベースに、それを回避するモデルにした)

なぜ他の誰かではなく、なぜあなたがこの事業に取り組むのですか、という質問に納得できれば、ようはなんでもいいのです。
原体験があるかないかなんてどうでもいいことを考えている時間があれば、行動するほうが結果的に原体験も生まれてきます。それをWILLがある、と周りの方は思うのではないでしょうか。


それではまた。

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