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生まれて生きて殺す死ぬ

 夢の中で人を刀で突き殺した。相手に対する特別な思い入れはない。憎しみはまるでない。ただそのとき、そこで互いに敵同士として出会ったから殺したまでのこと。
 刺して刀から伝わって来たのは、相手の命が果てるときの震えで、それが言いようのない罪責感としてこちらに浸透して来そうになったが、鍔元でそれをとどめた。入り込まれてしまうことは、感傷を意味する。

 殺された人の「ここで果ててしまうこと」への無念さが、重さとして私にのしかかり、罪責として感じられてしまうのは、真っ当なのかもしれないが、私は押し返した。「感傷に僅かに浸っては、それが隙となり自分が打ち取られる」と思いながら。
 夢から覚めて、そうか型における「残心」は相手への警戒を怠らないとか「美しい所作」といった説明をされるが、表面的な話ではないし、綺麗事ではないのだと知った。

 人を殺しておいて感情を揺るがせない。それどころかそもそも憎くもないのに殺すのは、サイコパスと言えないかと、夢中の自分に対して思った。と同時に、感情に対する理解の仕方が現代と近世以前では違ったのだろうなと思う。少なくとも剣術の流派が形成される以前の人間の感性はまるで今と異なったろう。

 今回の夢は、前日に読んでいたケアに関する本が影響しているのだろう。自己決定や生命の尊厳と安楽死の関わりについて語っていることが、なぜこのような形を取るのかと言えば、うまく説明はできない。

 できないが、おそらくは私たちが「生まれて生きて殺す死ぬ」存在ということに関わっているだろう。なんの恨みもないが、命を奪うことを生きるために毎日当たり前のように行っている。

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