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覚えていられない

覚えていられないほどの圧倒的な記憶というものがある。折に触れて思い出せることは、ある意味で大したことではなく、私たちは自分の顔を直接見られないように、記憶は振り返ることのできなさに溢れた身体そのものと言える。

私には長らく謎の不安ー親密さへの忌避と分離不安が入り混じったーがあった。それを辿っていくと母親に行き着くとはわかったが、何が根源にあるのかわからなかった。記憶の底が抜けている。

あるとき私は生まれてから母親に抱きとられた経験がほとんどないのではないか?という記憶が芽生えた。それはかつてを「思い出す」のと記憶が「湧き出てきた」とも言えるようなものだった。

母は出産後、謎の高熱で意識が混濁した。
父の証言によると、譫妄となり、精神病院に入れられた。鉄格子があったというから隔離病棟だろう。
病室に父が訪ねても「どなたですか?」と返事する状態だったという。
彼女が膠原病だと判明するまでには時間がかかった。

生まれて直後、看護師は抱えた私を母に見せたであろうし、触れることはあったかもしれないが、抱きとるような状態ではなかったのではないか。

昨日、部屋で稽古をしていると、風が過ぎ去るようにして、母がやって来た感じがあった。一瞬、重なって通り過ぎていく最中、彼女の身体性が感じられるような感覚があった。
それは人格と呼ばれるものに比べて淡いが、確かに生きていることを成り立たせる輪郭を感じさせるものだった。

地上を吹く風は太古からずっと吹き続けている。身体と呼ばれるものは朽ちて果てた後も吹き渡る風となって私たちを通り過ぎていく。

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