見出し画像

想いのあとの決意

今年の初めの頃に「気」を診てもらう、という機会があり、そこでもらった言葉。

「…これは、転機だからね。」

どうにも心も身体も重たくてそこから動けない苦しさでもがく私を心配してくれた方からの一石で、気やエネルギーを診る方の元、不思議と長い間大人になるまで押し込めていた、「表に出してはいけない」と信じていた自分を解放し始めた瞬間だった。

その約半月後位に、ユンギさんの「大きな挑戦」、世界を巡るソロツアーをすると知る。
しかも「解禁」し、「D-Day=始まりの日」だと言う。

そこからまた自身と向き合う時間、その時計が、苦しみもがきながらも進んで、彼の最後にはその泥の中から大きくて立派な、ひたすら上を向く美しい蓮の花が咲き誇るような姿を見せてもらい、そして
その生き方、いや生き様というべきか。
それを「魅せて」もらったんだな…と。

そしてそれは、自分の中の何かも又、ユンギさんの浄化されたような今までの苦労や葛藤と共に、浄化とまで行けたかは分からないけれど、消化、位は出来たのかも知れない。
その熱くて、重くて、あまりに純粋な愛は、私自身の奥深くに押し込めた鉛のような重く苦い、大嫌いな自分さえも、そのまま抱きしめておけばいい、泣いてもいいし、憎んでも、悲しんでも、それでも後ろに居てくれる、そんな気持ちにしてもらえた。

そして気づいたら半年もの間が経っていて。

まるで消毒するように、毒出しするかのように、色々な傷みが癒えてきているような感じがずっとする。
でも、それは結構な痛みを伴いながら。
...荒療治みたいに。
きっとこのタイミングで、これは必要な事で、
必然の時期でやって来たのだろう。

だからもう、昇華させていかなくてはと本気で思う。
私のユンギさんへの想いは、
いつもふわふわキラキラした光で彼が包まれて欲しいと、そんな前向きで上向きなのは確かだけど、
私が、私自身に対しては、あまりにその対岸にあり、それは暗くて重くて、無力な自分へ憎しみを向けないように、ただ明るく優しく、親しみのある人であるかのように振る舞って来た。

でもあんな剥き出しの姿を見せてもらってしまって、もう自分に嘘をついて誤魔化す事が出来なくなった。

そんな感覚を自覚し始めた頃、体調を崩した。
というか多分これは全てが表出したのだろうけど、夏の暑さも相まって、とうとう自律神経も悲鳴を上げた。

春からは、いくつかのお別れもあった。
大切な人達が、逝ってしまった。そして又、その家族や友人、同僚などの人達がそれぞれの大事な人を失う…どうにも出来ない事だけど、その事が余りに
辛くて、悲しみに動けなくなった。どうにも出来ない事と分かっていても…虚しくて。

他にも人間関係が上手く運べず、停滞もしてしまった。仲良くしてもらっていた人との間に出来てしまった溝や距離。これは堪えた。
いやもしかしたら、普段はわりと独りで平気で、
かなりマイペースな私なのだが、このユンギさんの
ワールドソロツアーという、壮大な夢の実現に(彼にとってはその才能と実力から、当然、最高で立派な大成功を収めたけれども。)親しくしてくれる友人と共に乗り越えたい、共に楽しみ駆け抜けたい、という思いがあったのだと思う。
結果、相手に依存し過ぎてしまったのかも知れないな、と今は思う。

そして私自身の多分一番の問題点は家庭で。
本来は一番安心し寛げる場所なはずの家も、自分の苦しみの一番の核でもある夫とのやり取りが、
何もかも全部抱えられなくなり。

ひと月の間にニ回、過呼吸みたいな発作が出て
救急へ。初めのは、熱中症もあり退勤の時に息苦しさと動悸、吐き気に急に苦しくなり電車から急いで降りて、ホームで動けなくなった。
会社帰りの次女がホームに、その後夫が車で迎えに来てくれて救急へ。点滴と検査をしてなんとか帰宅出来た。

二度目は家で、息が吸えない感じの息苦しさと動悸、その後に手足の痺れが段々と範囲を拡げ、ガクガクと全身が震える状態に。
二度目は、初めて救急車のお世話になってしまった。
診断は過換気症候群、というもので。不安や焦り、ストレスなどが嵩じると過呼吸になり、酸素を取り込み過ぎると体はアルカリに傾くから震えが来たりするようだ。
わりと激的な症状で、死ぬんじゃないかと本当に思った。でもそれはあくまでも自律神経のコントロール不能で起こるだけで、身体そのものは特に健康だという。交感神経側がずっと高いままで、副交感神経がなかなか上がらない事でそうなる、と。

にわかに信じられなかったけど、いつも患者の身になり温かい励ましと安心をくれる、かかりつけ医の先生が仰ってるのだから、そうなんだろう。
そしてやはり、人の温かさは、人を救うんだ、と。先生に診てもらっただけで、とても安心してしまい、心はかなり軽くなれた。
つまり、心も診てもらったんだね。
本当にありがたい。

元々眠りは浅い方だけど、睡眠が大事、と改めて言われ、薬は飲めば楽にはなるけど大事なのは心の持ちよう、と。ヨガや瞑想等もやると良い、と。内科の先生だけど心のケアも自然としてくれてしまうので、なかなかそういう名医には出逢えないと思うので、私は本当にラッキーだ。

一番弱くて少ない容量の、眠る事も促す抗不安薬を出されて、
仕事も日数と時間を減らしてもらい、今は様子を見ている。

でも、モラ夫さんは私の不調は仕事が忙し過ぎるのと、夏の暑さのせいだけだと思っているし、もう二度目の受診でまた薬をもらって来たというのに、結局それは何で起こったんだ、とまだ言う始末。

彼の仕事は神経をとても使う大変な仕事で、それにも耐えながら家族を支えている、何が不満があるのか、そして色々な事に器用ではない私がそのように心身を崩しても、彼を上手く支えられず、甘えだとか感謝が足りない、という発想で、多分理解が出来ないし、自分のほが余程大変だというのに、と理解しようとしないのだろう。
でもきっと彼も、ギリギリの所で踏ん張っていて、弱音も吐きたいし想われたいし労われたいのだろう。それを受け止める器の大きさを私が持てたなら。
まだまだ難しいけれど…この関係を改善していけると信じたい…

今年の初め頃はあまりな言葉のキツさに参り、
言葉もDVなんだな、と自覚した。
録音しようかとも思っていた。でも逃げられないとも。
だけど、きっと変えられる。
そう信じられたのは、冒頭の気を診てもらった時のその言葉のおかげ。

なんとか、這い上がらなければ。
ボロボロになって闘うのではなく、もっと自由に、強くありたい。

例え小さくて頼りなさそうな細い茎かも知れなくても、私自身の蓮の花を。この泥の中からきっと、真っ直ぐに上を向き、咲かせてみせる。

ユンギさん、貴方のように。

絶対、負けるもんか。諦めない。

「これは、転機だ。」
私の時計を、しっかり、確実に進めていく。
わたし、という時を刻むんだ。

ユンギさんからは、愛する気持ちだけじゃない。
生きる強さをもらったよ。

やっぱり貴方は、私にとって
人生をどう生きるかを示す羅針盤なんだ。

貴方と出遭った事は、私の運命を動かした。
でも更にその先の運命は自分で動かすものなんだ、きっと。
そう気づく機会をもらったから、これからの舵取りは自分でしていかなければ。

過去の私は、その時にもう置いたままで、
そこに良いとか、悪いとか、意味を持たせずに
そのままでもういい。

前だけ向いていこう。

きっと、今日より明日、必ず良くなる。
そうしよう、という想いが周りも自分も動かす。

きっと大丈夫だよ…
きっと大丈夫…

その言葉を音に乗せ、くれた貴方を心から信じて。そしたら多分、これからも諦めずに生きられる。

今年は本当に、忘れられない年になる。

あなたに心からの感謝と、敬愛をこめて。
最愛のユンギさんへ。

誕生日から、また新たな自分に生まれ変わって行きたくて。

長い長い話を聴いて下さり、感謝します。
2023.9.6

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?