非寛容な世界

TwitterやYahooのニュースにぶら下がっているコメントを見ると非寛容なコメントが溢れかえっていて心が痛くなる。

大学一年生が入学以来、新型コロナのせいでまだ一度も通学できていない。オンライン受講ばかりなので友達と呼べる同級生もいない。通学して友達を作りたい。いつまで家にいればいいのか。不安だ。という内容の漫画がTwitterに投稿されていた。

私はそれを見て、18歳頃のまだ右も左も分からない時分にパンデミックが起きたせいで世界が一変してしまい、これからどうしたら良いのか、どうなっていくのか、という先行き不透明な状況に不安を感じているのだな、と思った。大変だな、と。

しかしそのツイートにぶら下がっているコメントを見たら「その年齢で働いている人ももういるんだ!甘えるな!」「社会人になったらそんな状況でも働かないといけないのにのんきなことを言うな」「もう大学生なのにまだそんな甘っちょろいことを言っているのか」というような非常に厳しい言葉が多かった。

私は衝撃を受けた。正確には恐怖した。

なぜこんなにも他人を攻撃する人が多いのだろうかと。20歳にもならない子供と大人の中間のような年代の子を捕まえて、なぜそんなに厳しい言葉を投げつけるのだろうかと。

彼・彼女(性別は忘れた)は自分の不安感をただ表明しただけなのに「他の人はこうしてるんだからお前もこうしろ!」「みんな我慢してるんだからお前も我慢しろ!」となぜ押さえつけるのか。

共感する必要はないけれど、もう少し寛容になれないものだろうか。

自分が年齢を重ねてから分かることだけど、20歳頃の自分というのは今からみると本当にぺーぺーも良いところの子供だった。自信だけはやたらとあったけれど知識も経験も足りなかった。そんな時分に他人からこれだけ厳しい言葉を受けていたらと思うとぞっとする。

シングルマザーが困窮しているというニュースがあった。

女性の貧困率はかなり高い上に、その経済状況の中で独りで子育てをするなんて本当に大変だと思う。

しかしニュースにぶら下がっているニュースを見ると案の定「シングルになったのは自分で選んだこと」「旦那は何をしている」「子供を産むのを選んだのは自分だ」と辛辣な声、声、声。

なぜこうも他人を攻撃するのか。

大多数の人はシングルマザーになりたくてなっているとは私は思わない。何らかの止むに止まれぬ事情があるのだろう。配偶者が亡くなっていたり、DVされたり、性格が合わなかったり、家族と合わなかったり、何らかの衝突があったり、と。それは余人のうかがい知れぬことで、でも当人にとってはとても重要なことでシングルマザーになるという状況しかなかったんだろう。

「そんなものは我慢すればよかった」「そんな相手を選んだ自分が悪い」「簡単に子供を産むのが悪い」と言う人が多い。

幸せになることを願って行動するのは悪いことなのか?

好きな人ができた。その人と結婚して子供もできた。でもある日、相手が急変してDVが日常になった。

そんな状況もあるかもしれないし、現にあるんだろうと思う。

それでもその女性が悪いのか?その女性は好きな人と幸せな家庭を築こうとしただけじゃないのか?

行きずりの相手と一夜をともにしたら妊娠してしまった。その結果独りで子供を育てていこうと決めた女性もいたかもしれない。

それって悪いことなのか?悪いのは独りで子育てするのが大変な世間だったり環境なんじゃないのか?

「子育てもできない環境で子供は産むべきじゃない」という人がいるが、子は宝で、その家族だけではなくて、地域の、ひいては日本の宝なんだよ。子供がいなくなったら日本人はいなくなるんだから。ただでさえ日本人は減少の一途を辿っているのに。産めるならどんどん産んでもらえばいいし、女性が安心して産んで子育てできるような状況を社会全体で作るべきなんだよ。

昔は3世代同居の大家族や地域のつながりが強かったから子育ても分担してできた。ほとんどの家庭が専業主婦だったし。でも今は核家族化が進み、地域付き合いの希薄化もあって子育ては本当に難しい。その中でも独りで子育てして仕事もしているシングルマザーのことを少しは思いやれないものなのか?

「全部それはあなたの選んだ結果なので自己責任でお願いします」と言う人がいるけれど、この行き過ぎた自己責任論が社会全体を覆っていて世間をギスギスさせている要因だと思う。

今、30代~40代の就職氷河期が直撃した世代の非正規雇用や貧困が問題になっている。

就職氷河期は、就職したくても出来なかった。200社に応募しても箸にも棒にもかからなかった。旧帝大を卒業したのにアルバイトの仕事しかなかったという人もいる。そういう時代だった。

それでもそれはその人の自己責任なのか?あの当時の社会はそう言っていた。大変ですね。でもそれはあなたの努力が足りないせいなので、あなたの自己責任です、と。

こんなの無理ゲーだろ。

今、会社勤めしている人はもしかしたら貧困とは遠いことかと思っているかもしれない。自分には安定した収入があるからと。

でも、もし自分が交通事故にあって半身不随になってしまったら。もし親が認知症になり老人ホームに預けることもできずに自宅で介護することになってしまったら。仕事などできるはずもなく貧困層へ急転直下だ。

そのときに「それはあなたの責任なので自己責任ですね」と言われたらどう思うだろうか?たしかにあの時あの道を歩いて交通事故にあったのは私の責任ですと100%認めうるのだろうか?

生活において環境に左右される部分はそれ相応に大きく、すべてがすべて自己責任というわけではない。

一寸先は闇。それでもみんな幸せになりたくて日々の生活を営んでいる。良かれと思ってした行動の結果、苦しい状況になってしまうことも多々あるのも事実。

それなので他者の状況の背景に思いを馳せて、辛辣な言葉をぶつける前に、その人も苦しいんだろうな、と少し考慮できるぐらいの余裕が社会全体に生まれ、寛容さが広まることを願ってやまない。

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