先代猫との思い出

おうち時間が増えたおかげで、家で猫と過ごす時間が増えた。

時間を気にせず、好きな時に好きなだけ猫と遊べる。

そんな幸せすぎる時間の中で、先代猫との思い出がふと蘇った。

とても悲しい思い出だけれど、忘れることは出来ないし、忘れてしまってはいけないものだから、思い出すことが供養になるのだと思って、ここに書き留めておく。

先代猫が我が家にやってきたのは、私がまだ本当に幼い頃で、記憶には残っていない。

一人っ子だった私にとっては、まさに姉さんのような存在だった。

ずっと一緒に育ってきた。

忘れもしない、十数年前の秋のある日。

学校から帰ってきた私は、宿題をしていた。

猫は遊んで欲しかったのか、訴えるように鳴いていたが、私は宿題をやっているからとあまり相手をしてやらなかった。

猫は諦めて外へ散歩に出かけた。

当時は、放し飼いをしていたのだ。

そのまま帰ってこなかった。

いつも夜には帰ってきていたのに、帰ってこなかった。

家族で探したけれど、見つからない。

翌朝、車にはねられていたのを見つけた。

唯一の救いは、車にはねられたようなのにまるで眠っているかのようにほとんど外傷はなく綺麗な身体だったことだった。

あとで遊んであげようと思っていた。

でも、そのあとではもう来ない。

死ぬほど後悔した。

人生の中で、あれほど後悔したことはない。

何故あの時遊んであげなかったのか。

小学5年生の宿題の手をほんの数十分止めることが、どうして出来なかったのか。

あの時遊んであげていれば、もしかしたら散歩には行かなかったかもしれない。

後悔はキリがなく溢れ出した。

その数ヶ月後、拾われて今の猫が我が家にやってきた。

手の中に収まるほどの大きさのその子猫は、不思議と先代猫と同じ癖を持っていて、私達家族は「きっと先代猫が連れてきてくれたんだね」と言って子猫を受け入れた。

二度と同じ後悔はしたくない。

放し飼いはやめて、室内飼いにした。

そして私は、絶対に猫を後回しにしないと決めた。

どんな用事であっても、ほんの数分数十分猫と遊ぶのを優先できないものなんてあるはずがないのだ。

出かける時間だって、あとで走れば数分は稼げる。

そうやって、十数年過ごしてきた。

そして今も、ゆっくりじっくりと一緒に過ごしている。

ふと、先代猫との思い出が蘇る。

でもきっと、どんなに飽きるほど1日中遊んだって、充分なんてものはないんだと思う。

お互いの気が済むまで遊び尽くしたって、来るはずの、今日と同じ明日が突然来なかったら、きっとまた後悔するんだろう。

それに、せっかくの幸せな時間をずっと、もし今日と同じ明日が来なかったら、なんて考えながら毎日過ごすのはあまりにも辛すぎる。

結局、今の幸せを最大限に噛み締めて過ごすことしか出来ないのだ。

そんな風に思いながら、今日も猫と幸せな1日を過ごす。

1日でも長く一緒に幸せに暮らしていけるよう、祈りながら。

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