オタクな私とオタクじゃない友人の話
ふと思い出したとある友人との思い出を書き留めておきます。
この間職場で、その日は早くに帰れる日だったので帰りにケーキ屋さんに寄って行くという話を同僚にした。
その日は私の好きなアニメのキャラクターの誕生日だったのだ。
私はアニメや声優さんが好きないわゆるオタクというやつで、オタクの中にはこうして推しの誕生日を祝う人もいる。
同僚が「何かあるの?」と聞いてきたのでそう説明すると、なんだかよくわからなそうに「変なの」と笑っていた。
そういう文化(というと大袈裟かもしれないけれど)を知らない人から見れば、変な行動に見えるのは自覚しているので、特になんとも思わなかったけれど、ふと学生時代の友人を思い出した。
その友人もまた、オタクではない人だった。
友人と出会った頃の私は今よりも頻回にそういうお祝いごとをしていて、月に何度もという時もあった。
別に毎回豪華じゃなくていい。
ケーキ屋さんじゃなくてコンビニのスイーツでもいいし、例えばオムライスが好きだという設定であれば、その日に合わせてオムライスを食べるだけでもいい。
自分はあまり好きではない食べ物であっても年に一度だけは我慢して食べたりして、そんな風に楽しむんだという話は、オタクではない友人にとってはさぞ不思議に聞こえただろう。
だけど友人はバカにせず、私が「今日は帰って○○を食べるんだ」と話せば、「今日はどんな人の誕生日なの?」と、わからないであろう話を聞いてくれていた。
そんな友人と仲良くなって数年後、少し離れてしまっていたがある日久しぶりに会った。
その時私はちょうど何か新しい趣味を探していて、全く違う趣味を持つ友人に「何か楽しいことを始めたい」と尋ねてみた。
友人は、色んな人の誕生日を祝うのはもうやっていないのか、と尋ねてきた。
その頃は、友人と出会った頃と比べると、かなり頻度は減っていた。
忙しくなってきて、気付いたら月日が過ぎてしまっているのだ。
「最近は、あんまり」と返す。
でも、友人がそれを覚えていたことも驚きだった。
そんなに忘れられないくらい、変なインパクトがあっただろうか?それとも、そんなにしつこく言ってしまっていただろうか?
反省する私に、友人は言った。
「あれ、すごく楽しそうで、好きだったのに」
その時は、友人が言ってくれた言葉もあまり気に留めなかった。
ただ、確かに最近やっていなかったなと思い出して、少しずつまたやってみたら楽しくなって、なんだかんだでその時は新しい趣味にも出会えず、ただそれだけで大きな変化はなく通り過ぎていった。
でも、何故だろうか、今になってとても大切な思い出として蘇ってきた。
きっとその友人は、自分には全く興味のないことでも、誰かが楽しんでいることにきちんと価値を見出し、大切に出来る人だったんだと、今更思う。
自分には全く興味のない世界で、なんだか不思議な楽しみ方をしている私を見て、でも私が楽しそうだからそれはきっと素敵なことなんだと価値を見出してくれていた。
私自身がくだらない遊びだと自覚しながらやっていたというのに、もしかしたら私以上にその楽しみを大切にしてくれていたのかもしれない。
そんな友人の素敵な部分に気付くのは、それからかなり時間が経ってからになってしまった。
それからというもの、以前ほど頻回ではないけれど、やっぱりたまにそうしてケーキを買ったり、祝う相手の好きな食べ物を食べたりして楽しんでいる。
何気ない日常を楽しいものに変える、自分なりの工夫だったんだと思う。
そして一緒に時々思い出す、本人の私よりもその楽しみを大切にしてくれていた友人のことを。
「あの時、私のバカな些細な楽しみを、私よりも大切にしてくれていてありがとう」と今更伝えるのは遅すぎるだろうか。
今更過ぎて、照れ臭い。
でも今度会う時には、言ってみようか。
そして、私もなれるだろうか。
友人のように、誰かの楽しみを大切に出来る人に。
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