ちょうちょがはこんでくれた旅~後編
旅行前日。当日の山形の天気を調べてみると、雨。しかも、激しく降るとのこと。目的地が駅から徒歩圏内にあるとしても、激しい雨が降る中での移動となると、かなりの不便を感じることとなりそうだ。電車や、山形市内の循環バス(ベニちゃんバス)のことも時間をかけて調べたが、結局空港でレンタカーを借りることにした。
いよいよ当日。朝、子どもたちが起きる前の6時すぎに出発。自宅の最寄りの駅から電車に乗ると接続が悪いので、ひとつ先の駅まで夫が車で送ってくれた。いつもありがとう。大阪伊丹空港に着き、山形の雨雲レーダーを確認すると、あれ?予報がずいぶんと変わっている。今日は、もしかしたらあまり雨に遭うことなく過ごすことができるかも。幸先がよい。
天童木工
定刻どおりのフライトで無事に山形空港に到着。外は小雨。予約していたレンタカー会社のカウンターで手続きを終え、駐車場で今日のわたしのバディとご対面。ダークグレーのホンダのフィット。今日はよろしくね。
さあ、最初の目的地『天童木工』へ。空港から10分弱で到着。守衛室でショールームの見学をしたい旨を伝え、駐車場とショールームへのアクセスの案内をしていただく。
車を停めて守衛さんに言われた通りに社屋内へ入り、2階へと階段を上がると、受付の方から見学する際の注意点の説明を受ける。台の上に載っている作品には触れてはいけないが、床に直接置いてある製品には触れたり腰かけたりしてもよい、というシンプルなルールだ。
まず、階段を上がってすぐのところにお目当ての『バタフライスツール』が鎮座していた。
ああでもない…こうでもない…と試行錯誤する、柳氏・乾氏・天童木工の職人さんたちの沢山の意見と手が入っているのだと想像すると、試作品をとても愛おしく感じる。
【本社ショールーム フォトギャラリー】
1947年当時、加藤氏に「工場長のおもちゃに買ってやる」と、社長の大山氏が現在の価格で1千万円はする当時最先端のこの機械を購入したことで、一気に進んだ合成合板技術の研究。このことにドラマを感じてショールームの見学に行ったのだが、この機械(第1号機は火災で焼失したため、展示されていたのは第2号機)を見ることができて、感激した。
ひと通り見学して帰ろうとしたら、受付の方が「もしご迷惑でなければどうぞ」と、製品カタログを手渡してくださった。迷惑なんてとんでもない。ありがたくいただきます。
私がいただいたのは、2020年に迎えた創業80年のカタログ。見返し部分の冒頭にもこの文章が記されている。このスローガンが掲げられるずっと前から脈々と受け継がれていたのであろう、このいまもむかしも変わらない考え方が私は好きだな。
天童 手打水車生そば
車に戻り時計を見ると、10:30を過ぎている。会う約束をしている知人が山形駅近くに高速バスで到着するのが11:39なのだが、その前に行きたいところがある。ガイドブックで見つけて気になっていた『手打水車生そば』だ。
11時の開店と同時に入店しても、これを食べる時間はない。ここから山形駅までは車で30分弱。
どうやら、おみやげとして乾麺があるらしい。これを買う時間ならある。天童木工から10分弱、車を走らせる。小雨が続いている。
開店10分前に到着。入口ドアには、『準備中』の札がかかっている。車の中で荒木マスターのVoicyを聴きながら待つ。
11時になったが、札は裏返らない。しかし、同じく開店待ちをしていた人が躊躇なく店内へと入っていく。私も慌てて車から出て彼らに続く。
遠慮がちに、「店内で飲食はしないのですが、おみやげだけ買いたいのです」と伝えると、年配の女性店員さんが目で「ここだよ」とレジ横のおみやげコーナーを指す。わが家と知人宅用の人数分の鳥中華乾麺と、隣に置いてあった一味唐辛子を一袋購入。これでよし。
さて、知人って誰?
11:39ちょうどに、山交バスセンターに到着。「着きましたよ」とDMを送ると、まもなく知人が会釈しながら車に向かって歩いてこられた。初対面!
実は、私のミステリーチケットの行き先が福岡でも新潟でもなく山形に決まったことをnoteのミナ ペルホネンの記事のコメント欄に投稿したところ、この記事の前編に登場した新潟在住の方が、「山形行きの高速バスがあるので、もし一人ポッツーンな感じなら旅にお付き合いしますよ」と言ってくださり、私もぜひお会いしたいと思っていたので、お言葉に甘えてお付き合いいただくことにしたのです。
帰りのバスの発車は16:04。大人女子2人。ランチどき。小雨。
…はい。ご想像どおりです。ずっとcafeでしゃべってました(笑)
Voicyをきっかけにお知り合いになれた彼女。コメント上やプレミアム会員のLIVEにて交流してきて、こんな形でお会いできるなんて、夢のようでした。わざわざ会いに来ていただいたことが本当にうれしく、気持ちが身に沁みました。ありがとうございました。
最後にはおみやげの交換をし、バスに間に合うように車で駅まで送り届けてお別れしました。またいつか、ぜひお会いしましょう。
ちょうちょがはこんでくれた旅
今回の旅を振り返ってみて、キーワードは『ちょうちょ』だと思った。
●ミナ ペルホネンについてのnoteの記事から始まった旅だが、「perhonen」は「ちょうちょ」を意味し、“choucho”はミナペルホネンを代表するテキスタイルのひとつである
●山形行きが決まり、最近感銘を受けたバタフライスツールの記事から天童木工を訪れようと思った
●過去にミナ ペルホネンと天童木工がコラボしていた
…そして、これはバタフライエフェクトか?ミナの記事ではじめにコメントをくださった九州在住の方は早速、展覧会を観に行かれたそうだ
…そして、私はcharaさんのファンで、YEN TOWN BANDの「Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜」をカラオケで歌う曲の十八番としている
…だんだんとこじつけみたいになってきたので、そろそろやめよう。
ともあれ今回の旅で、わたしがいかに多くの方に支えられて影響を受けているのかを改めて実感した。
このことがまた、幸せな『なにか』に影響していくといいな。
最後に、今回の旅に関わってくださったすべての方に感謝いたします。