Chapter:Ⅰ【事件現場】
【登場人物】
望月十五(もちづき・じゅうご) 「うさぴょんぴょん組」三代目組長
鰐飛伊那馬(わにとび・いなま) 若頭
泥舟勝克(どろぶね・かちかつ) 本部長
碧居法比古(あおい・のりぴこ) 若頭補佐
有栖井腕太(ありすい・わんた) 組長付きの少年
舞目路黒美(まいめろ・くろみ) 望月邸の家政婦
小浦(こうら) 泥舟の運転手
野呂井(のろい) 鰐飛の運転手
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屋敷の応接室は、想像より手狭な部屋だった。六畳ほどだろうか。大理石のローテーブルが中央に据えられ、その左右に一人掛けのソファが二脚ずつ。今は右手のソファにあなたを呼んだ泥舟と鰐飛が、左手の奥には若頭補佐の碧居法比古が腰を下ろしている。
テーブルの上には人数分のワイングラスと、ラベルに紫色の花の絵と”Le violette”と書かれたボトル。それらを載せてきたのだろう銀盆。そして……もうひとつ「物騒なもの」が。
一番奥のいわゆる「お誕生日席」にはゆったりした革張りのカウチが置かれている。その上に伸びてシーツを不格好に被せられている塊が「誰か」は、尋ねるまでもなく理解できた。
「警察は……呼んでないんだろうな」
わかりきったことを尋ねるあなたに、泥舟は渋い顔をする。
「当たり前だ。表沙汰にしたくないからお前を呼んだんだ。組長が身内に殺されたなんて不名誉を外に漏らすわけにはいかない。組員の離反や、抗争の引き金になりうるからな。馴染みの『医者』に、病死の診断書を書かせるさ」
泥舟が立ち上がり、シーツをはぎ取ってみせる。望月十五の死体が、高そうな銀鼠の絣を赤黒く染めて横たわっていた。半ば閉じた両瞼から、色素の薄い灰色の目が虚空を睨んでいる。
死体は首筋を切り裂かれていた。天井にまで血痕が飛んでいるのを見るに、頸動脈を断たれたのだろう。
「で。それが凶器か?」
あなたはテーブルの上に置かれた物騒なもの――血塗れの匕首(ドス)を指さした。泥舟が頷いて、
「おそらくは。ソファに突き立てられてた」
あなたは手袋をはめて匕首を手に取る。白木の柄に、にっこり笑ってウインクしているバニーガールの浮彫りが施されていた。
「うさぴょんぴょん組の代紋じゃねえか」
「せや。そりゃワシのドスや」
汚いダミ声が飛んできた。鰐飛伊那馬だ。
二メートル近い巨体を白スーツに窮屈そうに押し込め、剃り上げたスキンヘッドの下の、敵意に充血した両目をあなたに向けている。いかにも獰猛な、オールドスクールなヤクザといった風貌の男だ。
スーツには点々と血が散っているが、被害者の隣に座っていたなら不自然でない程度だ。
「鰐飛さんの?」
「ああ。誰かが盗みよったんや。けったくそ悪い。のう碧居、これに言うたってくれや」
鰐飛に水を向けられ、碧居法比古は困ったような笑みを浮かべる。
真冬だというのにボタンのはち切れそうなアロハシャツに短パン姿、ピザとカレーがこの上なく似合う男だが、頬に走る大きな刀傷が、彼が単なる人の好いおデブちゃんではないことを物語っている。
「おとといの夜に若頭(カシラ)と泥舟さんと俺の三人で、北枕新地でウチがやってるバーの視察に出たんです。視察と言っても、タダ酒を飲みに行くだけなんですがね。カシラは珍しくずいぶん酔っぱらってて、帰り道のどこかでドスを落としてきちまったって言うんです」
「なんじゃいワシをドジっ子みたいに! 落としたんとちゃうわ、誰かがガメよったんじゃ! このワシが、先代から預かった大事なもんのうなすと思うちょるんかいワレ!」
鰐飛は大阪弁なのか広島弁なのか判然としない曖昧な言語でまくしたてる。
任侠映画に憧れてそれっぽい喋り方をしているだけで本当は埼玉の出身なのだと、以前、泥舟に耳打ちされたことがあった。
「一体、誰が盗んだって言うんだ」
「決まっとるやないか! あんクソガキじゃ。あれが望月を刺してワシに罪かぶそうとしとんのが分からんのか!」
唾を飛ばしながら鰐飛が指さしたのは、先ほどから所在なさげに部屋の隅に立っていた少年だった。怒鳴られ、少年はびくり、と肩をすくめる。
知らない顔だった。あなたは泥舟に尋ねる。
「彼は?」
「二か月前に三代目が連れてきたんだ。死んだ恩人の息子で、世話を頼まれたと言ってな。この十二月に十七歳になったばかりで正式な組員って訳じゃあないが、この家に住み込みで三代目は秘書みたいなことをやらせてたようだ」
有栖井腕太と言います……と少年はか細い声で言って頭を下げる。
不安げに揺れるその瞳を見て、あなたは「それ」に気づいた。
あなたは泥舟の方に向き直って、頭を搔いてみせる。
「そろそろ種明かしをしてくれねえかな、泥舟さん。目の前で刺し殺されて、犯人が分からないってのはどういうことなんだ?」
「停電があったんだよ。その間にやられたんだ」
「……なるほどね」
この部屋には窓がない。灯りが消されれば真っ暗になっただろう。泥舟の顔が悔しげに歪む。
「ブレーカーが落ちたんだ。暗闇の中で苦しそうな呻き声が聞こえて……灯りが点いた時には、三代目はもう死体になってた」
「停電に乗じて、誰かが望月さんを襲った――その時の状況を詳しく聞かせてくれないか?」
「ああ、それなら」
泥舟は派手なストライプのスーツのポケットから、ICレコーダーを取り出して操作した。
「あとで議事録を作らせるために、テープを回してたんだ。これを聴いてもらった方が話は早い」
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