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大谷翔平のリスクとチャレンジ - ド軍が地区優勝を逸せばA級戦犯扱いでLAに居場所なし

玉川徹も懸念を述べていたが、大谷翔平に三度目の肘の手術という可能性がないわけではない。むしろ、十分あり得ると考えるべきだろう。現在、術後の経過は順調で、打者としては開幕から試合出場できる見込みの状態にある。投手としても9月には練習を再開できると楽観的な見通しを語っていた。だが、われわれが想起するのは、ヤクルトの伊藤智仁が歩んだ茨の道の野球人生である。過去を振り返って、これまで最高のスライダー投手は伊藤智仁だった。「高速スライダー」と呼ばれ、真横に80センチ曲がったと言われている。私もテレビで実際に見た。当時、大いに話題となって注目され、巨人戦での中継が楽しみだった。新人投手の魔球だった。だが、デビューして間もない93年7月初旬、突然故障して戦線離脱する。前半戦で7勝2敗の成績を上げ、そこで消えた。

翌94年に手術、3年目はリハビリ。5年目から復活するが、高速スライダーは元に戻らず、肘痛と肩痛が再発する。7年目に二度目の手術。9年目に三度目の手術。11年目に現役引退を表明。悲運の投手であり、鮮烈に記憶に残る投手で、中日の浅尾拓也と同じく感情移入せざるを得ない範疇に入る一人だ。球史に残る魔球の高速スライダーは、わずか3か月の命だった。大谷翔平のスィーパーと伊藤智仁の高速スライダーは同じ球種で、同じ物理的変化で軌道を描いている。その球がスィーパーと命名されてMLBが喧伝しまくっていた頃、私は伊藤智仁を思い出して不安になっていた。8月に大谷翔平が右肘靭帯を損傷したとき、マスコミが伊藤智仁の名前を挙げず、NPBで起きた過去の事例に触れず、無視と黙殺で済ますことが不思議でならなかった。

大谷翔平の今後に不吉な議論になるのでやめとこうと、誰もがMLBとエマニエルに忖度して言及を控えたのだろう。聞くところでは、今回の執刀医ニール・エラトロッシュの手術は画期的で、最新医学のテクノロジーによる方式だそうだから、30年前の伊藤智仁とは違う結果と回復になるかもしれない。だが、とは言っても人の身体の部位である。そして大谷翔平の右肘にはメスが二度も入っている。本当にあのスィーパーを原状の威力で復活させられるのか、素人の目からは疑わしい。大谷翔平の一回目の右肘靭帯損傷は、エンゼルスに入団した1年目の6月で、9月に手術を受けている。デビューして投げ始めてすぐの事故発生だった。当時、詳しい解説はなかった記憶があるが、私見では明らかにフォークボールの投球疲労が原因で、田中将大がヤンキース入団初年の前半に襲われた事故と同じに見えた。アメリカ球界ではスプリットと呼ぶ。

表面の皮革加工が粗雑で、ツルツル滑るMLBの硬球は、変化球投手の肘と肩に無闇に負荷をかけ、怪我を媒介する。二本の指で挟んで投げるフォークボールは、特に肘の靭帯を傷めるリスクが高く、そのためアメリカでは投げる投手が少ない。結局、田中将大と大谷翔平と、二人の天才投手の肘をこの禍で壊してしまった(松坂大輔も)。以前は、MLBの硬球仕様を変えるべしと日本側から要求と提案が上がっていたが、盲従と隷属と植民地化の20年が続くうち、誰も言わなくなった。故障と治療の後、田中将大から嘗ての豪快さが消え、制球と投球術で凌ぐ並みの投手になってしまった。大谷翔平の方は、縦に落ちるフォークボールではなく横に滑るスライダーに新機軸を見出す挑戦に出る。そしてスィーパーの開発に成功した。それを実戦の主武器に完成させた直後の今年8月に、一度目とは違う右肘靭帯損傷となった。スライダーがなぜ肘を壊すか、藪恵壹が経験から解説を述べている。

大谷翔平の日ハム時代のフォークボールは凄まじかった。伝説に残るフォークボールの名投手の逸話は幾つもある。杉下茂、村山実、江夏豊、村田兆治。そして野茂英雄、千賀滉大。だが、大谷翔平の150キロのフォークボールは圧巻で、見たことのない奇跡的な絵を作った。打者の手前1メートルでガツンと地面を叩いてバウンドし、その球を打者が空振りして三振する。そのアートに驚かされた。野球はどんどん進化している。身体機能と技術能力が向上している。方法論も変わっている。その事実を実感させられ覚醒させられた場面だった。日本の野球ファンを感動と興奮に包んだ大谷翔平のフォークボールが、2018年の事故と共に永久に消えてしまった。2021年から投手として復活するけれど、あの衝撃のフォークボールは再現されない。おそらく、投げると靭帯に危険があるからだろう。それを考えると、スライダーと今回傷めた靭帯部位との関係も同様と想定しておかしくない。

問題は、ドジャースとエンゼルスとでは環境と期待が全く違う点である。もし仮に、大谷翔平が投手としてよく復活できず、キレのある変化球を投げられず、並のローテーション投手で収まる水準となった場合、ドジャースの球団とファンはそれを許容するだろうか。7億ドルの価値のある選手と認めるだろうか。7億ドルのスーパースターと評価されるためには、本塁打50本の打者成績と15勝の投手成績の両方が要る。これは大きなチャレンジだろう。特に、移籍1年目の来年が重要だ。過去を検証すると、エンゼルス入団1年目で右肘を故障した後、リハビリで回復させつつ、実際は2年目3年目と別の怪我に襲われて出場機会をロスしてしまっている。大谷翔平の場合、二刀流をパフォーマンスするベストの身体状態があり、その目標管理があり、ウエイトトレーニング等の隙間ない練習調整の時間がある。バーベルを持ち上げるには右肘の腱の力も必要だ。と言うことは、十分なメニューをこなせない意味になる。

右肘のリハビリが様々な体調管理と練習メニューに影響する。理想的に設計したプログラムの実践鍛錬から遠ざかり、完璧に維持していた身体のコンディションを崩す。それが原因となり、思わぬ別の怪我に繋がる。ドジャース1年目はその危惧の中で環境に慣れ、成績を残さないといけない。ドジャースは過去11年間に10度地区優勝を誇る常勝軍団だ。そこに年俸7000万ドルで大谷翔平が加入した。アメリカンドリームの鳴り物入りで、MLBの組織を上げた肝煎りのヒーローとして。よもや来年、ドジャースの投打の歯車が狂って地区優勝を逸するなどのハプニングが生じてしまったら、真っ先にA級戦犯指定され、厳しい責任追及の指弾を受けるのは大谷翔平だろう。大谷翔平を7億ドルで獲得したウォルターとフリードマンが叩かれるだろう。もしそれが2年続いたら、そのときのLAの怒号と混乱は想像もできない。2年間、二刀流のベストパフォーマンスを示せなければ、大谷翔平にLAの居場所はないだろう。

さて、ここで思い出すのは、堀内恒夫が監督だった2004年の巨人軍の「史上最強打線」である。前年オフに近鉄からローズを、ダイエーから小久保祐紀を獲得。清原和博、江藤智、ペタジーニと合わせて、他球団で4番を打った主力5人が揃う過剰に豪華な強力打線が編成された。生え抜きの高橋由伸と阿部慎之助もいる。結局、ペナントの成績は3位で終わった。翌05年も巨人軍は低迷、Bクラス5位の屈辱となり、堀内恒夫は引責辞任に追い込まれる。なぜ昔の巨人の失敗例を敢えて紹介するかというと、今回のドジャースの意思決定が似ているからだ。MVP受賞者でリーグ屈指の強打者であるベッツとフリーマンが揃う打線に、3人目のMVP打者の大谷翔平を7億ドルで獲得して押し込んだ。ここまで打線を重装備する必要があるだろうか。本来、今オフでドジャースが補強をめざしたのは投手である。だから、大谷翔平が後払いにして浮いたマネーで山本由伸を狙うとか言っている。

大型のスター選手ばかり派手に打線に並べると、バランスを失って堀内巨人の蹉跌の二の舞になるのではないか。そういう不安を抱くファンも少なくあるまい。ド軍が本当に欲したのは、投手大谷の戦力だったのだろう。が、右肘故障で思惑が外れ、外れながらも本人の希望があり、MLBの戦略と差配があり、7億ドルで大谷翔平を取るという選択しかなかったというのが真相ではないか。ブルージェイズが手を挙げたのは、それが演出用のダミーの役割演技だと承知していたからであり、マスコミが報じた1080億円は見せ金で、そんな大金を本気で準備するつもりなど毛頭なかったのだ。ドジャースも6億8000万ドルを後払いにすれば、この先10年間の負担はなくて済む。疑って言えば、63歳のウォルターは10年後の球団経営は考えてないのだ。10年後は誰かにオーナーの座を渡し、引退してビジネスの現場から離れているのだろう。

客観的に大谷翔平は故障の多い選手である。過去10年間のプロ生活のうち、半分の期間は怪我で出場できず活躍できていない。二刀流挑戦の負荷がそうさせた。首脳陣からすれば、戦力を安定的に計算しにくい選手である。私は、エンゼルスに残る選択が正しかったと思う。理由は、アナハイムの球団とファンはドジャースほど勝利へのコミットと緊張感が強くなく、のんびりホンワカした気質だからである。その球団とファンのおおらかな性格と配慮が、大谷翔平に二刀流のトライアンドエラーを許し、見守って育ててくれる環境を提供してくれた。別の見方をすれば、彼の5年間の我儘を認めてくれた。アナハイムに残り、恩義のあるエンゼルスを地区優勝に導く戦力になることが、大谷翔平の正しい選択だったと確信する。

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