維新躍進の脅威と暗鬱 - 戦争への体制を方向づける統一地方選の民意
統一地方選挙の後半戦が終わり、維新の大躍進をマスコミが言祝いでいる。自治体首長と地方議員を合わせて774人になり、選挙前に目標に掲げた600人を大きく超えたと賑々しく報道された。この統一地方選には全く興味がなく関心を向けなかったが、衝撃の結果が出てようやく注目するところとなった。24日夜のテレビ番組の主役は維新の幹事長と代表で、地方議員の数を倍増させたこと、次の衆院選で全小選挙区に候補者を立てること、その選挙で立民を抜いて野党第一党になることを生放送で轟然と宣言した。この選挙の前までは、維新というと大阪・関西のローカル政党のイメージだったが、この躍進を機に一気に準全国政党に化け、次の衆院選の台風の目になった感がある。そして、それを松原耕二や反町理や大越健介がエンドースしている。
維新が大躍進の一方、議席を大きく減らしたのは共産と社民である。26日の毎日の報道によると、共産は前半戦の道府県議選と政令市議選でそれぞれ22議席減、後半戦の市区町村議選でも91議席減、計135議席減らしている。社民については市区町村議席の総数はよく分からないが、朝日の24日記事に市議選の数字が載っていて、前回(現有)の4割以上となる23議席を減らしている。過去からの議席を維持していた区町村でも同様の敗北だっただろう。24日夜のプライムニュースで、共産が減った分だけでは維新の大幅増の計算が合わないが、どこが減ったのだろうと反町理が疑問を投げ、顔を向けられた大串博志が、立民は前回よりも増やしている、自民党さんじゃないですかと振る場面があった。減ったのは共産と社民だ。反町理は、社民の存在を失念していたのだろう。
共産と社民が大敗北で維新が大躍進。イデオロギー的に非常に分かりやすい選挙結果であり、これが無党派層に典型的に示されているところの現在の国民の主流の政治意識に他ならない。一昨年の衆院選、昨年の参院選と日本の政治はこのトレンドにシフトしている。反共極右と新自由主義を是とする認識と思考であり、その政策を積極的に推進しようとする方向性である。特に若年層にこのベクトルへのコミットが強い。忌まわしく呪わしい現実だが、敢えて醒めた感想を言えば、特に不思議な現象でもなく不自然な情勢でもない。マスコミ報道がずっとその価値観を宣伝し推挙しているからであり、「自由と民主主義」の高唱礼賛の下で、反共主義を徹底教育し、憲法9条を無価値化し、要するに共産や社民の理念を否定し、その逆の地平の価値観への信奉と尊崇を説き導き続けているからである。
今から4年後に台湾有事の戦争が始まると仮定すれば、その4年前に共産や社民が日本の選挙に勝って議席を伸ばすのは、支配者にとっては具合の悪いアクシデントだろう。支配者にとってベストの政治図は維新が伸びる進行である。安倍政治を過激化した維新こそが支配者のお気に入りの勢力なのに違いない。維新が改憲を引っ張り、9条を潰し、解雇規制を緩和し、弱肉強食の市場経済に変えて行くことが、支配者にとって最も望ましく、対中戦争4年前の日本政治に必要なステップとステイタスなのだ。逆に言えば、他の政治行程は許されず、停滞や逆流は許されないのである。日本のマスコミは、年がら年中、戦争準備の話ばかりで埋め、反中プロパガンダばかり放送している。人口減少の深刻な危機は特集して論議しない。格差と貧困を社会矛盾として問題視しなくなった。それを誤った新自由主義政策の結果だと言わなくなった。
日本をアメリカと同じ社会制度に変える方向性だけが正しく、アメリカの価値観に同一化することだけが正義で、アメリカと一緒に中国と戦争して勝つことだけが唯一の選択肢だと刷り込まれている。それ以外は、お笑いとグルメとアニメとMLBだけで頭を漬け込んでいればよく、何も考えなくていいという環境だ。だから、若者を筆頭に国民一般が維新と自民を選ぶのは必然なのだ。共産や社民は「社会悪」として規定されている。すでに異端の少数派の位置づけでもなくなり、ネットでは揶揄や侮辱や拒絶のレベルでは終わらず、憎悪と排撃と殲滅が扇動されるフェーズに至っている。その空気は恐怖を感じるものだが、大量死を伴う総力戦が始まる4年前だと考えれば「理解」もできる。成田祐輔が平然とテレビで講釈を垂れ、たかまつななを膳場貴子が推薦する時代なのだから、無党派層が維新に投票するのは当然だ。
維新は5年以内に政権を取ると言っている。だが、それがどこまで本心かは疑問だ。そもそも、維新は自民と政策の対立軸がない。同じ思想と路線の政党であり、自民をさらに極右化させ新自由主義化させた政党である。維新が全国政党の展開を進めるに連れて、その本来的な問題は顕在化するだろう。同じ矛盾と蹉跌は、橋下徹が石原慎太郎と組んで全国政党化をめざしたときも発生した。維新は自民と政権交代する二大政党体制を目指していない。それを核心に据え、党のレゾンデートルとしているのは立民である。維新は違う。だから、維新の組織が全国に伸びるに連れ、維新とはどんな政党で自民とどこが違うのかの自問自答に窮し、関西のローカル政党に戻らざるを得ないだろう。あり得るのは、むしろ大連立であり、それ以上に大政翼賛会である。大政翼賛会となる可能性が最も高く、支配者もそれを歓迎するはずだ。
維新は、政権奪取には貪欲ではないが、政策には貪欲な政党である。それゆえ、まず狙うのは何より改憲発議だと予想される。3月30日には緊急事態条項の改憲条文案を国民民主と共同で纏めて発表した。内容を見るかぎりこれは「お試し改憲」の類で、いわばブラフだが、改憲政党側がきわどく政治を詰めている状況が伝わってくる。4月20日、公明が自民の9条改憲案に反対表明をするニュースが発信され、一瞬安堵を覚えたけれど、よく考えると、これは北側一雄のシグナルであり、公明として9条に手を付けるのは反対だが、別の条項を標的にした「お試し改憲」ならOKという意味なのかもしれない。緊急事態条項をめぐる維新の提案には賛成の態度で、衆院憲法審査会で立民を小突き回している。いずれにせよ、統一地方選での共産と社民の大幅後退を受けて、今年の憲法記念日は護憲側にとって厳しい局面となる。
補選で全敗した立民の泉健太に対して、責任を問う声がネットで猛然と上がっている。昨年来、泉健太はずっと共産を切って維新にすり寄る策動を続け、野党共闘の再編を図る動きに注力してきた。それに対して、従来の「野党共闘」を固守する側から強い批判が上がっていた。また、乃木希典へのコミットを公然と示威する復古反動の態度についても非難されてきた。ここへ来て、左派からその不満が爆発した感がある。この間の維新と立民の関係にを分析して、泉健太が巧く騙されて利用され、挙句に選挙前に切られたのだという観測が喋々されている。私もその見方に頷く。維新は最初から立民と共闘する気はなく、単に立民を共産から引き剝がす目的で、泉健太のすり寄りを操縦していたのだろう。千葉5区の失敗を受けて、共産との「野党共闘」の回復に舵を切らないと選挙に勝てないという声が高まるのは確実だ。
次の選挙で維新は全小選挙区に候補者を立てると言っていて、野党第一党の座をめぐる争いに注目が集まる。維新と立民の選挙共闘はない。維新と国民民主の選挙協力はある。そして維新に勢いがある。国民民主は、立民右派に対して党を割ってこっちへ戻って来いと誘うはずだ。反共の芳野連合は、泉健太と同じく選挙方針の判断に迷うだろう。と、こんな感じで、永田町政局のミクロをあれこれ雑談するのは容易だが、私の関心はあまりその方面にない。私の関心は、4月18日に米インド太平洋軍司令官アキリーノが放った言葉にある。台湾有事作戦の工程表のど真ん中にいて、戦略を現場で担っている者の緊張感が窺える。アキリーノには絵が見えている。この発言を聞けば、米軍が日本に徴兵制を求めているニーズがよく伝わる。トマホークの配備はサクセスフリーに done できたが、自衛隊が今の兵員数と動員力では不安なのだ。
9条を置いたまま徴兵制の施行はできない。閣議決定で明日から徴兵制を施行しますとか、靖国神社を国営にして天皇に参拝させますというわけにはいかない。徴兵制施行も、靖国神社国営法も、スパイ防止法(思想犯罪処罰法)も、憲法9条を潰してから立法化し制度化できるものだ。それを具体化するためには、永田町に大政翼賛会を実現しなくてはいけない。それが大きな基本線であり、維新と立民がどうのこうのという永田町政局も、その基本線に沿って動くだろう。最後に解散総選挙についてだが、6月に解散総選挙をやって伸びるのは維新である。無党派層が維新に投票する。その影響は、立民だけでなく自民にも及ぶだろう。自民と維新は基本政策が同じだから、自民に入れていた保守無党派が維新に入れるという図は十分ある。6月解散の計略で動いていた岸田文雄にとっては、今回の維新躍進は相当に脅威ではないか。
自民の議席を減らしてしまうと、弱小派閥の岸田文雄にとっては一気に立場が厳しくなる。今の維新の勢いは、自民の現有議席数263を大幅に減らす瞬間風速の力があり、したがって6月解散の決断は簡単ではないだろう。
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