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過去編②ブラック企業で馬車馬のように働く


入社初日から終電帰り


「絶対に今の自分を変えてやる。」

ぼくは会社員になり、誰よりも長く働くことを決めました。


ぼくが入社した会社は創業7年目のベンチャー企業。入社式や研修はなく、初日からいきなり仕事を振られました。

ぼくは新人なのに、チームリーダーを任されることに。プロジェクトは人員不足で、予定通り進んでいない「炎上」状態。嫌が応なく、毎日死ぬほど働くことになりました。

入社初日の4月1日。普通の会社であれば、その日はオリエンテーションだけで早く帰れるものですが、僕は初日から早速「終電帰り」でした。完全なブラック企業ですw

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朝の10時に仕事が始まり、深夜0時に退社。これが毎日続きます。

朝はそれよりも早く出社して勉強。昼休憩も、夜休憩もありません。食事は全て、片手で食べられるものをコンビニで購入。おにぎりやパンをつまみながら、休まず、ひたすら仕事していました。土曜は全て勉強に費やし、日曜に出社することも多々ありました。

IT系の会社だったのですが、ぼくは専門知識がないため、誰よりも着いていくのに苦労します。仕事をしながら、わからない用語が出てきたらググり、用語集を作る。最初はわからないことが多すぎて、大量の用語をメモ帳に書き溜めていました。

ちなみにブラック企業だったので、残業代は出ません。月給は手取り15万。時給に換算したら600円ちょっと。コンビニのバイトより、遥かに安い仕事でした。


全ての時間と金を仕事に捧げる

金は当然たまりませんが、それ以上に時間が足りません。

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そこでぼくは、朝に髪をセットするのを辞めました。これで少しだけ時間が浮きます。

繁忙期には、睡眠時間を少しでも確保するため、会社のソファに寝泊まりしていました。

1年後には、貯金を全て使い、会社の近くに引っ越します。家との往復時間が勿体なかったからです。

とにかく、1秒でも多くの時間を、仕事に使いたい。

そう思っていたぼくは、安い給料を切り詰めて「家事代行」を依頼。家事の時間を、全て仕事と勉強に充てることができました。

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そうやって、ぼくは持っている時間と金のほぼ全てを、仕事に捧げたのです。


なぜここまで頑張れたか?

不思議に思う人もいるかもしれませんが、ぼくはこの生活がそこまで苦ではありませんでした。(厳密に言うと、苦ではありましたが、続けることができましたw)

理由はいくつかありますが、1番大きかったのは、
ぼくは凡人以下である」と強く思っていたことです。


人の1.5〜2倍努力して、ぼくはようやく”普通”になれる
普通の人が1日8時間働くのなら、ぼくは16時間は働く必要がある

と、特に何の疑問もなく、自然に思っていたのです。
(というか今も思ってますw)


だって、今までの人生が、全てそうだったから。

「この劣等感を、必ず払拭してやる」
「こんな状況、絶対に抜け出してやる」

と強く思いながらも、現実はどこか冷めたように、自分を客観視して努力できたのです。

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ベンチャー企業のメリット

ベンチャー企業で働けたこと」も努力できた要因の1つです。

ベンチャー企業にはさまざまなメリットがあります。

まず「大企業では絶対任されないポジション」を任されること。

ぼくは初日から、チームリーダーを任されました。大企業だと、まずこんなことなありません。

仕事はとんでもなくハードでしたが、

全て自分で考え、人を巻き込んで、結果を出す

というのはとてもやりがいがありました。大企業の末端にいてはなかなか経験できないことだと思います。

特に良かったのは、リーダーなので「自分は必要とされている」と常に実感できたことです。

そもそもぼくは「自分が誰かに必要とされている」という状況を、人生でほとんど経験したことがありませんでした。

いつだってぼくは、必要とされず、存在意義がなく、凡人以下のダメ人間。

学校でも、バイトでも、就活でも、常にそう思っていました。

でも、この会社だけは、唯一ぼくを必要とし、採用し、大きな仕事を任せてくれました。

ぼくを拾ってくれた会社が、ぼくを必要としてくれている

それだけでぼくは、どれだけ辛くても、どれたけ辞めたくても、ひたすら努力することができたのです。

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また、ぼくは上司にも恵まれていました。

ぼくの会社は社員が10人ほどしかおらず、ぼくの上司は「社長」でした。これもベンチャーならではです。

7年続くベンチャー企業の創業者です。その人はぼくに

「なんで?」
「君はどう思う?」

といつも吐きそうになるくらい、死ぬほど聞いてくる人でした。でもこれのおかげで、かなり鍛えられました。

「目的を持って動くこと」と「自分で考えて行動すること」の大切さを、この人から徹底的に叩き込まれました。

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この教えがなければ、間違いなく、今のぼくは存在しません。今後もずっと「やらされ仕事」をしていたでしょう。指導者というのは本当に大事だなあと思います。


消えていく劣等感

人よりはるかに働き、休日も勉強しているので、本当に少しずつですが、さすがに結果が出てきました。

そこでまた、人生で初めての経験をします。ベンチャー企業は、優秀な社員が少なく、ぼくよりも仕事ができない社員がたくさんいたのです。

学生時代まで、常にぼくは凡人以下。常に劣等感を抱えて生きてます。「自分が人より優れている」という状況に出くわしたことがありません。

でも今は、月給50万のおっさんの尻拭いを、手取り15万のぼくがしています。

だから、あまり劣等感を感じずに働くことができました。むしろ、少し優越感を感じていました。これが自信になり、ぼくはさらに努力を継続できたのです。

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人に必要とされながら、大きな仕事をこなし、社長から仕事のいろはを直接教わり、周りの人よりも高い成果を出していく。

こんなことは、学生時代にはありえません。

ぼくの会社は給与査定が3ヶ月に1回あり、ぼくは毎回給与が上がっていきました。

結果さえ出せば、急激に給与を上げられるのもベンチャー企業のメリットです。

入社半年後には、手取り15万から19万に上昇。25%以上増えたことになります。

そこからも努力を続け、入社2年目の半ばには、その会社でもっとも金額の大きい案件を、責任者として無事納品することができました。

自分の努力や実績が、数字で客観的に知れたのは、大きな自信に繋がりました。


限界を超えて潰れる

しかし、人生はそう上手くいきません。

次に担当したのは、さらに大きな案件でした。

今までの案件の規模は6、7人で行うものでしたが、今回は30人以上の人が関わるプロジェクト。会社としては初の試みでした。

しかも、自社だけでなく、外部の会社の人も関わるものでした。今まで自分が担当した案件とは比にならないくらい、難易度が高かったのです。

もう、わけがわかりません。勉強しなければいけない分野も格段に増え、全く着いていけなくなりました。自分より優秀な人も多く、だんだんとストレスがのしかかってきます。

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特に嫌だったのは、外部関係者で、ぼくを嫌う人がいたこと。その人と一緒に仕事するのは、本当に辛かったです。

例えばぼくが業務上の質問をしても

「それは君の仕事でしょ?」
「自分で考えろよ」

といった具合に、かなり「あたりが強い」言い方をしてくる人でした。

「なんでこんな言い方をしてくるんだ?」常にそう感じていました。

最終的に、その人を見るとお腹が痛くなり、ぼくは別室で仕事するようになりました。

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しかし、それでも状況は改善されません。メンタルはどんどん不安定になり、疲れて布団に入っても、全く寝付けません。眠れないまま、気づけば午前3時。


限界を感じたぼくは、ふっと思いました。

「もう、会社を辞めよう」

ぼくは、2年勤めた会社を退職することを決意したのです。

(続く)

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ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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