よんのばいすう3-16 2021.3.16

キリンレモン93歳

3月16日の記念日を調べていたら、キリンレモンが1928年3月16日に販売開始されたことを知りました。

今でこそ、炭酸飲料の種類は数えられないほどあるのですが、私が子どもの頃は、コカコーラとファンタ、お米やさんで頼む武田のプラッシー(笑)、そして、三ツ矢サイダーとキリンレモンぐらいしかありませんでした。ファンタは人工着色料が入っているからと親からはあまり認められず(笑)、コカコーラはなんとなく大人の飲み物という感じ。プラッシーはお店に売ってない。ということで、比較的三ツ矢サイダーかキリンレモンがポピュラーでした。

一見同じようで、味は随分違いました。三ツ矢サイダーは甘めで炭酸も軽め。当時は私も三ツ矢サイダーを好んで飲んでいた記憶があります。もう一つ、リボンシトロンという商品も思い出しました。シトロンと言うだけあって、レモン風味の香料が含まれていました。ただ、チクロという人工甘味料の安全性に問題ありとのことで、しばらく姿を消します。歴史的に一番古いのは1884年に出た三ツ矢サイダー、1909年のリボンシトロンで、キリンレモンは最後発商品だったようです。だから、炭酸度合いは強く、そしてレモンの爽やかさはアピールすることで特長を出したのでしょう。狙いは当たったかして、すっかり認知されるようになっていきました。

小学生の頃ですから、もはや半世紀前。もちろんコンビニもありません。スーパーマーケットも登場するかしないかという時代です。もちろん道端の自動販売機など、随分後のことでした。親にせがんでプラッシーをお米屋で取ってもらうのも相当な贅沢でしたが、夏になると炭酸飲料が欲しくてたまりません。しかも、親や大人の目は盗みたい。「炭酸を飲んだら骨が溶ける」と揶揄された時代ですから(笑)

そんな中でコカコーラやキリンレモンを飲むチャンスはただ一つ、通学路の中で唯一あったお菓子屋さんでした。食パンや袋パン、駄菓子を売っているお店のことを「お菓子屋さん」と呼んでいました。そこにコカコーラの自動販売機があったのです。自動販売機といっても、今のような缶やペットボトルではなく、瓶です。選択肢もコカコーラかキリンレモンかファンタオレンジかグレープのせいぜい4種類。お金を入れてボタンを押すとお目当てのものが出てくるわけですが、どうしたら取り出せたのかはよく覚えていません。

ネットでググって出てきた写真をお借りしますが、記憶でもだいたいこんな形でした。

 

瓶ですから持って帰ることはできません。基本、瓶はお店で回収されるのです。そして、その場で飲むためには栓をあけなくてはいけません。その自動販売機には栓抜きが内蔵されていて、そこに瓶の口を差し込み、くいっと持ち上げるとテコの原理で栓が抜けるのですが、子どもの力で栓抜きをうまく使うのもなかなかひと仕事でした。さぁ、問題はそこからです。一度栓を開けたら、そこで飲み切らないといけません。私の記憶では、学校の帰りではなく、夏休み中、外遊びに出かけたときに飲んでいたので、よく2歳下の妹と一緒でした。私はコカコーラが好きでした。でも、妹はコカコーラは炭酸がきつすぎて飲めません。そこでよくキリンレモンを好んで飲んでいたように思いますが、1本は飲み切れないのです。それを分かっていて、でも1本を二人で飲むのも嫌なのです。当然、キリンレモンが残る(笑)そこで私が残りを飲んでやります。さすがにお腹がタプタプ💦キリンレモンも結構炭酸が強いので、もう大変です。それでも、何度もそうやって飲んでいたことを思い出します。お菓子屋さんは我が家から遠く、帰宅する頃にはもう喉が乾いていました。家にあるのは、渋い麦茶でした。

僅かなお小遣いでの買食いは小学生の最大の楽しみでした。今のように、至るところに自動販売機があり、コンビニが並んでいるような、種類も選び放題な時代には考えられないことでしょう。でも、あの強い炭酸を飲み込む時の「ひぇ〜」とした感触は、遠い夏の思い出となっています。でも、春先の3月16日に生まれたのは何だか不思議です。ともあれ、キリンレモン93歳、おめでとう㊗

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?