ヨンゴトナキオク28 2021.4.24
映画の小部屋④『愛は静けさの中に』
音楽を趣味になぞしていると、もしも自分の耳が聴こえなくなったらどうしようという不安にかられることがあります。目の見えないピアノの天才が現れたりするけれど、私個人は何よりも好きな音楽が聴けないなら、もうほとんど暗闇も同然の絶望的な気持ちにもなるでしょう。しかし、耳が聴こえない人にはその人なりの生きがいや楽しみもあるはずで、今はハンディキャップも個性の一つなのだと言われるようになっています。
この映画のヒロイン、サラは生まれながらにろうあ者としての人生を歩んでいます。そのことにとてつもない孤独と絶望を抱き、両親にも理解されずに一人で心を閉ざして生きてきました。自分が育ってきたろう学校の掃除で生計を立て女子寮に住んでいます。夜中には一人、学校の屋内プールで泳ぐ彼女。音のない水の中では誰はばかることなく自分を解放できるというメタファーなのでしょう。彼女の心のドアを何とか開こうとするのが、新任教師のジェームズ。おそらく、最初は彼の一目惚れです。だって、サラは登場してきた最初のシーンから美しくて、ジェームズじゃなくても、誰の目にもハッとするくらい魅力的に映るはずです。
しかし、サラは心の中に恐ろしいほどの怒りのマグマを抱いています。どんなにジェームズが近づこうとしても拒絶します。その反面、誰より愛を求めてもいました。片田舎のろう学校にやって来たジェームズもまた孤独なのです。これはもう、二人が恋に落ちるのは必然でした。最初、ろう学校の校長はこの交際に苦言を呈します。「寝た子を起こすな」と言わんばかりに。しかし、ジェームズはサラが何故頑なに心を閉ざしているのかを知りたくて仕方がない。そして、ついにその秘密に触れてしまうのでした。
愛し愛される二人。サラはジェームズの部屋で暮らし始めます。しかし、たった一つ、ジェームズは自分の名前をサラに言ってほしいという願いが叶いません。そして何より、ジェームズが愛してやまないバッハの音楽を一緒に聴く喜びを共有できないことにはたと気づきます。映画に出てくるのはバッハの『2つのヴァイオリンのための協奏曲』第2楽章。実は、私もこの作品が大好きです。ラルゴの優しいメロディーは、初めて聴いた時から心を揺さぶられました。だからこの曲を愛するジェームズの気持ちもよくわかります。初めてのデートでの場面。音楽を感じて踊るサラを見て、ジェームズは彼女にも耳ではなく身体で音楽を感じる力があることを知ります。しかし、この曲のような静かで旋律的な音楽は理解できないサラ。このバッハを説明してとせがまれたジェームズは何とか身体で表現しようとするのですが、どうしてもできませんでした。
日本でロードショー公開した1987年頃、私は映画館でこの映画を観ました。その後、おそらくTV放映もされたかもしれません。実は、この映画のことを思い出したのは、この第2楽章がつい最近TVから流れてきたからでした。Amazonprimeで検索したら期間限定の有料配信作品としてラインナップされており、有料といっても安価だったので慌てて視聴しました。
このバッハが流れるシーンは、いつ観ても泣けてきます。今回も気がつくとまた泣いていました。自分の好きな音楽が耳の聴こえない恋人には聴こえないのです。これほど切ないことはないと思います。また、手話でしか話してくれないサラにジェームズは苛立ちます。互いに傷つきすれ違っていく二人。でも、この不安と焦燥感って耳の問題に限らず、誰にもあることなんですね。人と人は決して分かり合えない。近づこうとすればするほど心は離れる。それを一番端的に表現するために、舞台をろう学校にしたのではないと思えるほどに。もともとは『ちいさき神の、作りし子ら』という原作があり、それが舞台作品となり、映画化されたのでした。しかし、テーマは普遍的です。ましてコロナ禍の今、そうでなくても世界は人と人が近づくことができなくなっています。社会的距離と心理的距離の間で私たちは生きていかなければなりません。
一度は別れてしまう二人。サラは自活の道を模索します。そして、紆余曲折の果てにまた近づこうと歩み寄るのです。言葉でもなく手話でもない世界を求めて怖れながらも互いを許し、優しく包み込むラストシーンは美しく、本当に穏やかです。バッハ同様、本当にいいのは第2楽章からなのかなぁ。
サラを演じたマーリー・マトリン。彼女は本当にろうあ者です。そしてこの役で弱冠21歳にして史上最年少のアカデミー主演女優賞に輝きました。だって本当に美しいんです。目ヂカラも凄い!それに対してジェームズ役は目の細いウィリアム・ハート(笑) サラのセリフを不自然でなく手話をしながら自分の口で語るのは二倍大変だったと思いますが、それだけに役者としての力量は素晴らしいものがあります。ところで、実生活でも二人は恋人だったそうです。が2年ほどで破局。彼女は別の男性と結婚し、4人の子どもの母となっているとか。誕生日が8月24日だそうで、ここにもヨンゴトなご縁を感じますわ(笑) 胸に沁みます。よろしければ一度ご覧くださいね。
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