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よんのばいすう6-16 2021.6.16

和菓子の恩

6月16日は「和菓子の日」なんだそうです。全国和菓子協会のウェブサイトによると、「西暦848年(承和15年・嘉祥元年)の夏、仁明天皇が御神託に基づいて、6月16日に16の数にちなんだ菓子、餅などを神前に供えて、疫病を除け健康招福を祈誓し、「嘉祥」と改元したという古例にちなみます。」

日本に砂糖を持ち込んだのは鑑真だと言われていますが、古来より甘いお菓子は大変貴重なものでした。庶民の口には及ばず、上流社会だけが享受できる贅沢品。「うまい」が「甘い」の語源なんだそうですが、神様やご先祖様に甘いものをお供えするというのは、上流社会に許された特権だったのでしょう。やがて砂糖が庶民にも普及していくのですが、ある意味ハレの日のぜいたく品のポジションは今も健在です。「つまらないものですが」と言いながらお土産を持っていくのは、いつもより少し値の張る菓子折りなんですよね。

和菓子と言うと奥が深すぎて私には到底語れませんが、この季節にいつも食べたくなるのが、水無月です。水無月とは旧暦の六月のこと。まさに六月のお菓子です。もともとういろうが好きでしたが、中でも子どものころ、母が京都に出るたびに買ってきた五建のういろが大好物でした。三角で白、黒糖、抹茶の三色が定番。私はいつも黒糖を選んでいましたっけ。それが6月ごろになると白いういろうの上に小豆が敷き詰められた水無月が我が家にも登場しました。この小豆は魔除けの赤、白は純粋無垢、三角の形は、貴重品の象徴であった氷を表しているそうで、六月に水無月を食べると、悪疫や災難から逃れらえるとの言い伝えは、京都を中心に関西ではよく知られた風習です。といっても、当時は何も知らずにただ美味しくて食べていましたけれど。コロナ禍に見舞われているこの夏こそ、疫病退散を願いながら水無月を食べないわけにはいきません。今日は1日雨で買い物にも出られませんでしたが、明日こそ、水無月をいただいてみたいと思います。

昔の人は偉かったなぁと思います。食生活も今のように豊かではなかったはずなのに、ただ食欲を満たすためだけはなく、豊作や健康を祈願しながら、お供えしたりおさがりをいただいたり。季節の移り変わりを上手にやり過ごす知恵を持っていたのでしょう。科学や医学がこれほど発達しても、ほとんど解決できずに右往左往している現代人に、欠けているものがあるとしたら、そんな祈りと感謝の心なんでしょうね。六月はこの半年でついた穢れを払い、来る後半の半年のために身を清める月でもあります。去年は半年がとてつもなく長く感じられましたが、今年はあっという間に過ぎ去ってしまったような気がします。オリンピックを挟み、次の半年が日本にとって本当の正念場なのでしょう。次のお正月を私たちはいったいどんなふうに迎えているのか、正直私には全く予想がつきません。

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