固定電話で
自分が生まれたころには、まだダイヤル式の固定電話があった。
自由に使いこなせるようになる前に、プッシュ式のそれに代わり、
いつの間にか、固定電話が携帯電話になっていた。
「便利な世の中になった」と喜ぶより先に、どこへ行こうと、持ち運ばなくてはいけないものが増えたことが面倒だった。
ハンカチ、ティッシュ、携帯電話? 時計機能が付いていても、腕時計よりは重い。
位置情報から、視聴動画の種類、個人的な調べ物の履歴まで、「ビッグデータ」として、国の統計や企業の嗜好調査の対象になる時代だ。
こう・・・なんというか、自分は、誰かや何かに追い掛け回されるのが、好きじゃない。誰にも邪魔されない一人の時間や、誰かの視界に入らない空間で、ほっと息をつく、ということをしたい種類の人間である。
だから携帯電話も、1週間に数度触るかといった程度で、この前いつ充電したかさえ憶えていない。
携帯電話の便利さには対価を支払うべきだが、その対価が、携帯利用料プラス自分の自由だというなら、全くつり合わないと思っていた。
「ビッグデータ」に金銭的価値を付ける、といった話が、最近ようやく表に出てきた。そう、これこそが、中抜きされた利用者たちの自由の金額である。
名だたる収集家たちは、本当の価値より低めの金額を提示し、あくまでも世の中を良くする慈善家として、微笑むかもしれない。
でもここで、もう一度言いたい。
私は固定電話でいい。
インターネットの利用も、そこそこでいい。
自由を換金したつもりはないから、持ち去らないでくれ、と。
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