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愛さえあれば立派なお母さんの巻

世間を賑わせる新型ウイルス。
自宅での自粛が広まる中で
親の子供への虐待のニュースを見ました。

僕は新卒1年目の社会も世間も
何一つ知らないペーペーの
ただの独身男性なので、
noteに沢山ある立派なお母さんや
お父さんのような事は言えませんが
子育てしてもらった人間として
僕の思った事を書いてみます。

少ない記憶から探してみると
僕の両親はとてつもなく
「言葉で分かんなきゃ体で覚えさせる」
タイプの両親だったように思います。

大嫌いなサンマが夜ご飯で
絶対に食べないと泣きながら訴えると
咥えていた箸を掌底で押し込まれて
喉に刺さった事を覚えています。
(ダンディな低音ボイスってやつになったのでナイス)

宿題をせずに学校から電話が
かかってきた時、やったって
嘘ついたやろ!って
習っていたサッカーの大切な
スパイクやすね当てやユニホームを
マンションの4階から向かいの畑に
向かって投げられたのを覚えています。
(見た事ないぐらい綺麗な放物線でした)

サンタクロースも人生で1度、
それも靴下しか来たことがありませんし
旅行に行った記憶は
USJに行った数回だけです。
転勤で引っ越しばかりを繰り返して
転校は合わせて10回してきました。

厳しい母親だなって
恵まれていない家庭だなって
正直そう思っていました。

二十歳の誕生日を迎えてから
母親と父親にラインをしました。
今まで育ててくれてありがとう
これからも宜しくお願いしますって
月並みな文章を送りました。

普段JKかなって思うぐらい短い文章しか
送ってこない母親から珍しく
長文でラインが返ってきました。

誕生日おめでとう。
3000gと大きな体で
出産時間が長く大変でした。
希望に溢れた人生を送って欲しいと
○○という名前を付けました。
これからも大事な事を
見失わないような人になってください。

確かこんな文章でした。

薄々気づいてはいましたが
僕の家庭は恵まれてないなんて事はなく、
それとは反対に恵まれすぎていました。
両親の全ては僕に愛を注いでくれていました。
(父親は何故か愛用していた腕時計をくれました)

実は僕には10個歳が離れた妹がいます。
僕が小学4年生の時に生まれてきてくれた妹です。
共働きの両親に代わって
保育園に迎えに行ったり、夜ご飯を
食べさせたり僕なりに頑張っていました。

だけど、なかなかご飯を食べないし
言う事を聞かないし正直怒り任せに
怒ってばっかりだった気がします。
愛が故じゃなかったなって
今でも少し後悔しています。

少しだけ子育てもどき?
みたいな事をしただけで
あんなに大変だったのに
母親や父親はどれだけ大変なんだって思います。

こんな状況下で
子育てや育児をする世の中の
お母さんやお父さんは言葉で
言い表すのは滑稽に思えるぐらい
大変な状況だと思います。

僕の浅い考えですが敢えて言わせてください。
愛さえあれば立派なお母さん
です。

少しだけ時間を見つけて
お子さんをぎゅってしてあげてください。
僕もお父さんに欲しい腕時計が
あるんだけどってラインしてみます。

見るに耐えない文章だったとは思いますが
御拝読頂きありがとうございました。

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