ギャンブル依存症1

たまには真面目な話です。

うちは子供の頃、裕福な家庭では無かった。
世間がバブルの真っ最中なのにだ!

ただ、そうは言っても公立の高校は行けたし、俺の時はダメだったが弟は専門学校は出た。
俺の時は下がいるので母も先が読めなかったんだろうな…俺は進学の選択肢が狭すぎて受験に失敗し働く事になった。と、言っても就職活動したわけでも無く新聞の三行広告の求人みて取り敢えず東京で住み込みで働くことにした。
家はもう、出たかった。理由は親父だ!


母は金にはキチンとしていて、パートもフルタイムで出ていた。
小学校3年くらいで、帰っても認知症始まったばあさんしか家にはいなかった。弟は保育園。
子供の俺がばあさんの世話少ししてたが、程なく老人ホームと言うか病院に入った。

共稼ぎなのになんで金が無いか…

それは親父がパチンコ依存症だからだ。
始まりは親(祖父母)との同居だった。

俺が小学校入る少し前にうちは親父の親と同居することになった。

10人くらいいる兄弟の末っ子の親父が何故か面倒みる。不思議だが大人になり色々わかったことがある。

爺さんは戦前からの駐在所のお巡りさん。これが偏屈ですぐ怒る。町内の枠を超えての悪い意味で有名人。俺は大嫌いだった。
ばあさんは、そんな爺さんを抑えれない。そして友人と称する数少ない知人に、不必要な物を勧められると買ってしまう。金遣いが意外と荒かった。
確かに死んだ後も公務員だったくせに金はほとんど残ってなかった。
家も古い木造で、あちこち傷んでいたり、すぐ水道凍結するような寒い家だった。
借地にボロ屋。いま考えると異常だな。
ボロ屋は恥ずかしかった。これトラウマになってます。

だから兄弟で親との同居できるのが親父しかいなかった。偏屈爺さんも、末っ子だからか他の兄弟より可愛がっていたのと、他の兄弟は家庭に問題ある奴ばかりだった。
まともな奴いねーのかよ!


そんな爺さんも小学校2年生の春に死んだ。
ポックリ老衰で。
そこから少しずつ婆さんがボケ始めたんだ。

親と同居始めたせいで我が家には、親父の兄弟が集まる。親父の兄弟はパチンコ好きな奴ばっかり。
そんな中で親父はパチンコを覚えた。

親父はギャンブルの才能がない!自分を抑えられない。
勝つまで止められない。有り金全部つぎ込むようなグズだった。
お金が無くなるとどうやら婆さんが小遣いを渡していたらしい。

そんなんだからどんどんパチンコにのめり込んでいく。

そんな中での、婆さんの入院。ボケすぎとタバコものせいで動脈硬化で歩けない。もう家に帰れる状態では無くなった。

そこから俺の悲劇が始まる。

続く…

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