見出し画像

味玉をのせるということ

ラーメンといえば味玉よね。小生も麺類を食べる時は迷わずトッピング!
食券機に100円多く入れて「味玉」と書かれた券が出てくると思わずウキウキするもの(ちょっと贅沢しちゃったぞ!って気分)。

でも、この前ふと思ってしまった。

「卵一個に100円って高くね?」

そしてこれを思ったのとコンマ一秒の差で

「いやいや、違うんよ!これは味玉なんよ!」

と自分に言い聞かせて事なきを得たわけやけれども、どうせだし少し味玉について書いてみたいと、そういうわけです。

---

味玉は高い?

普段ラーメン屋で味玉をトッピングしようという時、小生は「麺が半分くらいの時に味玉パカッて割るやろ、そんで半分は麺に絡めて、あとの半分はライスに入れて…」などと考えているわけだけれども、財布にどうも現金が少なく冷静にその価格を吟味してみると、「え、やっぱ高いんやないのか」と、こうなってしまうわけです。味玉が加わることによって抜群に広がるラーメンの食べ方のバリエーション、明確な一つの命がその卵にはあったということを踏まえれば、それはとても高いなどといえないけれども、お財布の切実な訴えには勝てん、、

普段スーパーで卵を買うとき、だいたい1パック(10個)で200円そこらだと思う。つまりは1個20円。それをつゆに入れて一晩…味玉の完成!というわけ。ここまで書いてみると、結構お手間もかかっていて美味しくてそりゃ付加価値80円くらいあるわ、と納得してしまった(あっさり)。でも、その過程で小生はものすごく大事なことに気づいてしまった。

味玉ってなんや

買った時には「卵」であったものがどうしてラーメンの上に乗って出てくると「味玉」になるのん。そして「味玉」という名称にはどうしてこんなにも魅力があるのん。どうして惹きつけられてしまうのん。

順を追って見ていきたい。

購入時  :生卵
茹でるとき:ゆで卵
味付け時 :煮卵
ラーメン上:味玉

いやなんでそうなんのよ!

「〜卵」だったものがなんで最後の最後で「味玉」になるんよ!
小生は怒りに震えたわけです。これでは命を落としてまでラーメンの上に乗っかってくれた卵さんがあまりに不憫やないの、と。

もちろん、調理済みのたまごを「玉子」と表記することはよく知られている。でも子まで取って「玉」にしちゃうことはないじゃないの。でも、その「玉」という一文字が強く小生を惹きつける何かを持っている気もする。思えば、古代中国の英雄たちは皇帝の持つ「玉璽(ぎょくじ)」を握ろうと権力闘争を繰り広げた。「玉」という字からは、そんな高貴で崇高な香りが漂うのだ。

例えば「味付け卵」や「煮卵」に小生は100円を支払ってラーメンに乗っけてもらいたいだろうか。答えは、否。「味玉」は卵という一つの個体を超越した存在として小生の前にある。ゆで卵を食べているとき、親子丼を食べているとき、小生には確かに「卵」を食しているという感覚がある。「味玉」にはそれがない。味玉はその起源を離れ、味玉としてあまりに強い存在感を放つからだ。

---

こんな具合に考えて、まあ何も解決も前進もしなかったわけなのだけれども、今日近くの(これがホントに)美味しい担々麺のお店に行ったら、店主が

「味玉つけておきますんで。いつも来てくださるから。」

と言って一つトッピングしてくれた(上の写真です)。
なんだかすごくポカポカした気持ちになった。ご店主からすれば小さな感謝の表明であったかも知れないそれが、味玉について悶々と考えていた小生には深く心に残る出来事になった。

味玉、らぶ。