出る杭は打たれるが出過ぎた杭は打たれない
会社を経営するという立場で最前線に立って全責任をしょって立つ役割を持つ夫と、その夫を全面的にメンタルコーチ並みにバックアップしている妻のちょっとした回顧録的なものを今日は簡単に綴ってみた。
15年前に結婚した当初、夫が事業の承継をすることが決まっていたせいか、 「玉の輿だねー」 と嫌味っぽく言われたことがある (実態は規模も資金も全然で、むしろ重圧で押し潰されそうになってるオットと 節約節約で毎月通帳とにらめっこな日々だった) 。
承継が少しずつ進んでいくと、色んなところで軋轢やら不満やらが出てきて、オットへの不満や悪口が一緒に働いている私のところにやってくる。
要は私に何とかしてくれって話なのだ。私からオットに秘密裏に話して、説得して欲しいのだ。
で、私はというと 「事務所のこと、よく分からないし、 仕事のことは家では話さないのよ〜」 とはぐらかし、スルーするもんだから、そういう人達からしたら肩透かしというか、期待外れというか、一緒に働いているのに「使えねー」ってことになる。
だから、そういう人達の飲みの席では、恐らく私も使えない奥さんとして槍玉にあげられていただろう。
私が周りからいい人だと思われたかったら、その人達と同調して 一緒になってオットのことを言ったりしたのかもしれないけど、 私はそういう人間にはなりたくなかったし、周りが知らないであろうオットの信念も、それに伴う苦悩や葛藤や多大なストレスも痛いほど分かっていたので、私は自分も槍玉にあげられる方を選んだ。
しばらくすると、当時悪口を言っていた人たちは気が付いたら自ら職場を辞めていった。そして道中とある時期に、3人寄れば文殊の知恵とよく言うが、同じ方向性を持つメンバーがオットを入れて3人になったとき(私は除く)、加速度的に事務所の雰囲気が良くなった。あれから15年たち、コツコツ紆余曲折を乗り越えて 当時5〜6人規模だった事務所が やっと40人規模に育ってきた。
とはいえ、職場内での不満はゼロにはできないし、外からの悪口やら嫉妬やらもなくなることはない。でも、やっとここまできたとき、その不満や悪口などを凌ぐくらい、協力してくれる人達が側にいてくれるようになった。相談にのってほしい、とオットが 外部からも頼られるようになってきた(あんなに苦悩していたのに!)。
あの時、オットが出る杭になることを選んだ時 杭を打つのではなく 一緒に出る側を選んで本当に良かったなと、改めて思う。
そして、ムスメもまた そのような出る杭になりそうな予兆がある。私は昨晩も今日も 出る杭を打ってしまったかもと、今猛省中である。会社を育てることと 子育ては大いに似ているところがあるな。。。