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理屈っぽい人間は、プログラミングに適性がある

あなたは、理屈っぽくないですか?

友だちと話してる時、「それってなんで」って繰り返すと眉をひそめられますよね。

論理的思考ができる人っていうのは、理屈が分からないと気持ち悪いんです。

しかし、日常の会話の中ではあまりそれが許容されません。

別に聞いちゃいけないってわけじゃないけど…

話の流れが止まるし、友だちはそんなとこに疑問持たないから、答えようがないんですよね。

(※暗黙のルールとして「なんで?」は入れない方がいいとなっております)

本人は根拠を明らかにしたいだけなのに。

なんだかちょっと生きにくいですよね。

ただ、そういう人こそプログラミングをやってみたらいいかもしれません。

とても合うと思います。

その理由は、プログラミングが「なぜ」の積み重ねだからです。

自分はちょっと理屈っぽいなーって、人は先にお進みください。


プログラミングは疑問を解決してこそ積み上がる

パソコンやスマホ画面に映ってる世界って、なんとなくでは成立しないんですね。

うまくいかないことには理由があって、成功にも理由がある。

基本的に間違いを正さないと、先に進めないんですね。

プログラミングって。

まさに、積み木を積み上げてるような世界。

すべて1個目の積み木を立てることからはじまります。

5段目から積み上げるとかはできない。

だから、なぜここはうまくいかないんだろうと考える必要があるわけです。

地道、このうえない世界です。

ただ、積み上がったものは、かなりの信頼性がある。

重ねてる途中で崩れることはありません。

技術革新でも起きれば、その信頼性も揺るぎかねないけど、現段階においては信用できるもの。

そんな世界です。

こう見てみると、結構、確実性があると思いません?

さて、ここでいっちょ、この逆の不確実な世界というのを見てみましょう。

人というフィルターを通すと曖昧さが残る

これがもし、人というフィルターを通すとどうなるか。

その典型的な医療の世界を見てみましょう。

Aさんの場合

例えば。

Aさんは、腰が痛くなって病院に行くことにしました。

レントゲンを撮ってみると腰の骨が歪んでいる。

医者からは手術をしないと痛みはとれないと言われました。

しかし、どうしても手術だけはしたくない。

なんだか怖いし、仕事もあるし、お金もかかる。

だから、薬だけで痛みを抑えてもらうことになりました。

鎮痛剤を飲んで2ヶ月。

急に痛みは引いてきて、ついにはまったく生活に支障がなくなったのでした。

「あれっ、あの医者は手術しないと腰の痛みは治らないと言ってたはずなのに。しかも、薬は飲んでいたがぜんぜん効いてなかったんだよな。それが最近、仕事がひと段落した途端、痛みが軽くなって」

こうなると、腰の痛みが取れたのはなんだったのか分からなくなりますよね。

少なくとも医者の診立ては間違っていたわけです。

手術しないと治らないって言ってたんだから。

かといって、薬が効いたわけでもなさそう。

最初の2ヶ月は効果なかったとAさんは言っています。

もしかしたら、ひと段落した仕事なのかもしれない。

ですが、それがどんなふうに作用して腰を治したのかは不明です。

ストレスが原因だったんだと言えば、それっぽい理由ではありますけどね。

確たる証拠とはなりません。

Bさんの場合

また、これがBさんならどうでしょうか。

同じように手術は避けて、薬を飲んだ。

すると、3日くらいで痛みは吹き飛んだ。

「薬でここまで良くなるなんて!」

このBさんのケースだと薬が効いたのかもしれません。

しかしですよ。

飲まなかった場合も、もしかしたら治っていた可能性が残されています。

それでも、手術は必要なかったようです。

Cさんの場合

さらにCさんも同じく手術はせずに薬だけ。

けど、1年経っても治らなかった。

痛み止めの薬は飲み続けて、忙しい仕事の時期も越えたのに。

「少しも痛みが治らない。やっぱり手術した方がいいのかな…」

というわけで、Cさんの場合、薬の効果はなくストレスの除去で痛みも無くならなかった。

もしかしたら手術が必要だったのかもしれません。

と、こんなふうに3者3様の結果となります。

大きな声で語られることはありませんが、これが医療現場の現実だったりするのです。

別に医学のことをディスってるわけじゃありませんよ。

人というフィルターを通した時って、それはもういろんな要素が絡んでくるので、理屈だけじゃ立ち行かなくなるんです。

特に、こういう痛みなどの場合は。

もしかしたらちゃんとした根拠や理由はあるのかもしれません。

ですが、現段階でそれを証明するのはかなりむずかしいのです…

そんなわけで、再び確実性のある世界へ戻りましょうか。

プログラミングは曖昧さが排除された世界

一方、プログラミングの世界はそんな曖昧なものはありません。

感情とかストレスとかとは、無縁です。

キーボードで打ち込んだコードがすべてです。

究極言うと、0か1だけの世界ですから。

だから、プログラミングの結果には理由や根拠があるわけです。

なんとなく上手くいくなんてことは、ほとんどない。

たまたま失敗したもない。

失敗するやり方をしたから、失敗する。

それだけ。

成功するコードの書き方を学んで、実践したからうまくいったんです。

プログラミングは、論理的思考な人が好む世界

プログラミングの世界は、もうずっと「なんでなんで」と言い続けていい世界です。

そして、それを考え続けていい。

答えが見つからなければ、1時間でも半日でも。

なんなら1週間、悩んでいいわけです。

こう考えると、理屈っぽい人に適正があると思いませんか?

自分もどちらかと言うと、「なんで?」と考えるのが嫌いではない人間です。

もちろん、頭ぜんぜん使ってない時もありますが…

考え続けるのは苦痛ではなかった。

というか、答えが分かんないと気持ち悪いんですよね。

人への説明も論理的だとよろこばれる

だから、もし論理的思考ができる人だったら、プログラミングはおすすめです。

人と関わるのは最小限でいいし、向き合っとくのはパソコンだけでいいので。

これって、人嫌いの人にしたら、とっても精神衛生上良いはたらき方です。

それに他人から、「ここがうまくいかないんです」と尋ねられた時も、堂々と理屈を述べられます。

「ここがうまくいかないのは、ここの書き方が間違っているからだよ。それが次のに影響して…」

と、説明が論理的なほど相手はよろこびます。

なんだったら、尊敬の眼差しとかでも見られちゃいます。

日常会話なら敬遠されそうな説明の仕方が、プログラミングの時はめちゃくちゃ受け入れられる。

なので、説明しているあなたもたぶん気分が良くなります。
なのでなので。

理屈っぽい人で生きづらさを感じているなら、プログラミングの世界に飛び込んでみましょう。

たぶん論理的な人なら、プログラミングで挫折することはないでしょう。

ちゃんと勉強時間を確保すれば、間違いなく知識を得ることができるはずです。

さいごに

理屈っぽい人には、プログラミングが合ってるんじゃないかという話をしてきました。

「自分は考えるのが好きだ」

この自覚がある人は、プログラミングをはじめてみるのもアリです。

あっ、別に理屈嫌いな人でもプログラミングやってる人はいるのでね…

そのへんはお気になさらず。

要は、使い分けなわけで。

人と会話する時は、理屈は極力抑えて。

プログラミングの時は、理屈いっぺんとう。

ってふうに。

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