統一原理注解 復活論➖(3)再臨復活から見た輪廻説
仏教用語で輪廻転生という言葉があります。人の生前の行いによって死後どの様な世界に行くのか、また次に生まれてくる時どの様な姿で生まれ変わって来るのか決まるというもの。その世界は6種類あり①地獄界②飢餓界③畜生界④修羅界⑤人間界⑥天上界があり、生きている間に罪をたくさん犯せば次に生まれ変わって来る時には人間として生まれて来ることができないかもと仏教では説いている。子供が生まれて、この子はその顔つきとか、声、仕草などあの亡くなったおじいちゃんにそっくりだね、もしかしたらあのおじいちゃんの生まれ変わりじゃない。この様な会話をどこかで聞かれたこともあるでしょう。
では再臨復活から見た輪廻説とは何でしょう。人の一生は母親の胎内-地上での人生-霊界での永生の3段階から成っている。神様は堕落した人間を救う為にその器に応じてその人に相応しい使命分野を与えられる。聖書では家庭レベルではアベル、ノア、アブラハムなどの中心人物を立てて復帰の摂理をされてきた。神様の救いは1人も漏れることはない全人類であるが順番がある。全知全能の神様は誰が復帰摂理の中心人物に相応しいか選ばれ、予定され、召命なさって、その人に人間の責任分担を担わさせる。人類始祖アダムとエバが堕落によって失ったものを中心人物に償わせ、取り戻させる。選ばれた中心人物がその使命を全うできなかった時は神様は次の中心人物を立てて摂理される。神様の創造原理である神様の責任分担(95%)+人間の責任分担(5%)は復帰の摂理にも適用され、人間の責任分担は神様は干渉されないし、できない。
人類始祖アダムとエバの堕落した後、親としての神様はすぐアダムの家庭から救いの摂理を始められた。堕落した張本人であるアダムを用いることはできず、アダムとエバの次男であるアベルを中心人物として立てられた。ところが次男アベルは長男カインに殺された為、アダムの家庭の復帰の摂理は失敗して1600年後のノアに使命が移った。しかし神様は義人ノアを中心人物として方舟を作らせて摂理されたが、ノアの家庭も失敗して400年後のアブラハムの家庭に摂理が移っていく。アブラハムの家庭はアブラハム、イサク、ヤコブと3世代でその使命を完成して行った。
民族レベルでは中心人物に選民イスラエルの中からモーセを選ばれた。当時イスラエル民族はエジプトで奴隷として扱われていた。エジプトのパロ王はイスラエルから解放者が現れるという噂を聞いて、奴隷イスラエルから生まれてくる男の子は皆殺す様に助産婦に命じた。その奴隷の子として誕生したモーセは母の知恵でパパイラスで編んだ籠の中に入れられてナイル川に流された。川辺で遊んでいたパロの娘に拾われ、エジプトの王宮で王子として育てられた。そしてモーセの乳母となって呼ばれたのがモーセの母で、乳母である実の母に王宮で育てられて指導者としての教育を受けた。また乳母であった実母からイスラエルとしての選民教育を受け、イスラエルとしての誇りと選民意識を持った。しかし結果としては、イスラエル民族がモーセと一体となれず、モーセを中心とする民族的復帰の摂理は失敗に終わった。モーセの使命はヨシュアとカレブに引き継がれて行った。
時代は世界的摂理を担われたイエス様の時代に移っていく。旧約聖書には救い主を送る前にエリヤを送ると書かれており、選民イスラエルは主の道を直くするエリヤの到来を待ち望んでいた。(マラキ書第4章5節〜7節)イエス様と同じ時代に洗礼ヨハネという名門の出の人物がいた。その名は誕生の時から奇跡で全イスラエルに知れ渡っていた。また洗礼ヨハネは荒野で模範的修道生活をし、そしてヨルダン川で人々に洗礼を授け「悔い改めよ天国は近づいた」(マタイによる福音書第4章17節)と説いた。人々は洗礼ヨハネをこの方こそ救い主ではないかと間違えるほどだった。イエス様の弟子達はイエス様をメシヤであると信じた。しかし弟子達は人々から聖書に救い主が遣わされる前にエリヤが来ると書いてあるがエリヤはどこに来ているかと問われ答えに困った。そこで弟子達はその事をイエス様に尋ねるとイエス様は「エリヤはすでに来ている」と語られ、弟子達は洗礼ヨハネのことを言われたのだと悟った。(マタイによる福音書第17章10節〜13節)これこそが再臨復活で仏教で言う輪廻転生である。即ちイエス様の時代から900年前エリヤという人物がいた、しかしエリヤは自分の生きている間に神様から与えられた使命を未完遂のまま昇天した。肉体がなくなって霊人体のみとなったエリヤはイエス様の時代にエリヤと同じ主の道を証する立場に立った洗礼ヨハネを霊界から協助する現象これを再臨復活という。エリヤと洗礼ヨハネは同じ人物ではないが使命分野から見れば同一人物に見える。
今日は聖書を基に復活論から見た輪廻説を眺めてみた。個人レベルであれ、民族レベルであれ、国レベルであれ、世界レベルであれ、地上で自分が成し遂げようとした事を完遂出来ずに道半ばで亡くなった時、霊界に行ったら自分の肉身が無いので、地上人に協助して地上人の肉身を借りてやり残した使命を完成しようとする事を再臨復活という。この現象を外的にみればあの人の生まれ変わり輪廻転生と見える。霊界に行って初めて、地上で自分が何をなすべきか悟り、自分の後孫や同じ宗教の人など縁のある人に協助して共に霊人体の完成を成して行こうとする現象が再臨復活、仏教的に言えば輪廻転生に見える。
私も歴史上のある人物の霊的協助を受けていると日々感じている。私は勿論そのお方の足元にも及ばない。そのお方は生きておられる間、聖書を世に広め晩年にはキリストの再臨を見事に予言され、見事予言は当たった。残念ながらそのお方は再臨主よりも少し早くお生まれになった為、再臨主が来られる事を証しされながらも再臨主に直接実体で会われる事はなかった。幸運なことに私は再臨主が生きておられる時に実体でお会いし、学び、侍って来た。この歴史上のあるお方は地上にいる誰かを協助して天のみ旨を成し遂げたいと思っておられるに違いない。
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