8.

記事にして文章にまとめたいと考えるのはいつだって夜中。
こんな夜更けだからこそ考えが巡って行く。

別に美しいだけが人間ではないと思う。

綺麗で、美しくて、誰もが憧れるような人間だって、
きっとどこかで泣いていたり、苦しんでいたり、
怒っていたり、努力していたりする。

なんとなく、それを表に出さないことが美学とか、
表に出すことがよくないことかのような雰囲気をよく感じる。

でも誰だって持ちうる感情を隠したところで、何も解決しない。
確かに、急に泣かれたりしても会話の流れが止まって
困惑するタイミングはあるけれど、その人の限界が来た合図なだけで、
それそのもの自体が悪いわけではない。

むしろそういったマイナスな感情こそ、人間らしさみたいな部分があるように感じる。

綺麗で、かっこよくて、美しいだけで生きていないし、生きられない。
悲しくて、憎くて、怒って、寂しくてもいい。
いつかの自分にもそう言ってあげたいと思っている。

それと、今日はもう一つ。
死についてちょっと考えていた。

死は救済だなんて、よく言ったもので。
それを聞いて納得する人、怒る人、共感する人、いろんな人がいると思う。
自分は共感するタイプの人間だ。

死にたい、なんて思う時があったりする。
でもこれって全員が考えてるわけじゃないって知った時が一番驚いた。

いじめられっ子だった。
いじめられた時は、どうしてなのかもわからず、ただ耐えるしかなかった。
ただ、限界が来た時に、一番手っ取り早く救われる方法が死だった。
運良く、死なずにここまで生きているけれど、
死という選択肢が生まれたタイミングだった。

嫌なことが起きた時、自分が死ぬ妄想をした。
妄想の中では自由だった。
ビルから飛び降りてみたり、首を吊ってみたり、
時には想像しながら本当に自分の首を絞めた。
幽体離脱して、自分の葬式を上から眺める妄想までしてた。
決まって、そういう時の妄想では、誰一人泣いていなかった。
むしろ笑顔で、死んでくれてありがとう、なんて言われるところまで考えていた。

今は、その妄想が現実にならなくてよかったと、心から考えている。

ただ、自分の中に、嫌なことから逃げる時の選択肢の一つに
死が追加された。

いまだに、いじめっ子たちのことは許せないでいる。
許す必要もないと思う。
今思えば、自分も浮いた子供だったから、仕方なかったとも思う。
それでも許せない。
自分から自尊心を奪っていった奴らだった。

そのあたりからか、自分の命がひどく軽いものに思えた。
残念ながら、この感覚だけはずっと残っている。
いまだに、自分のような人間が生きていることに罪悪感を感じる。

ただ、だからこそ、タフに働いたり、理不尽に耐えることができているとも思う。

吹いたら飛んでいくような軽い命だから、どんな危ないことも平気でできてしまう。
高いところでの作業や、崖ギリギリに立てたり、など。
この機材が壊れるくらいなら、自分が死ぬ。
なんて、割と馬鹿みたいな働き方をしていると思う。

命の重さは平等なんて、自分にはただの綺麗事のように感じる。
平等でもなければ、軽い重いもある、と感じる。
他人の命は尊いが、自分の命が軽いから、そう感じている。

別にそう思うことを悪いこととは感じていないのが、正直なところだ。

共感を得たいわけではない。
でも、同じようなことを考えている人がいたら、声をかけたい。
あなたは、誰よりも尊い命を持っているのだから、まずは生きていてくださいと。

そんな言葉を言えるような大層な人間じゃないくせに。

ただ、もしかしたら、そうやって自分自身を救いたいのかもしれない。

深夜の独り言。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?