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ラムネ

精神病棟に入院したのは十六歳の頃だった。

深夜、薬の過剰摂取で救急車で搬送されて、そのまま強制的に入院させられる事となった。

何の薬だったのか、十年も経った今では覚えていないし、その頃、病院からたくさんの薬を処方されていて、一体何に効くのか、どこに効くのか、分からないまま毎日飲み込んでいた。白。オレンジ。つぶつぶのやつ。なんかたくさん。私の意思ではないのに飲まなくてはいけないそれらを、親や医者に言われるがままに、決まった量を、きちんと飲む日々。
搬送された日、眠ろうとしたのに眠れなくて、睡眠薬だと思った薬をベッドの上にばらまいて、適当に掴んで全部飲み込んだ。
きっとこの日が私が産まれて初めて自分の意思で自分で決めた事を実行した日だったのだと思う。

十年の時を経て、何だか私は擬態する事が上手になっていた。ちゃんと会社に行っているし、部屋を借りて一人暮らしをしているし、凝った物は作れないが、たまに自炊もする。
五日間で一周目の擬態した平日が終わり、脱げる休日がやってくる。金曜日の仕事終わりには決まって、駄菓子屋で大量の駄菓子と、スーパーで食材を買って帰る。土日は家でじっとしている。土曜日は擬態の反動でベッドから動けないし、日曜日は明日からの日々の事を考えると、何もしたくない、という気持ちに支配されていく。動け、動け、という焦りも虚しく、つらい、と感じただけの一日が、夕暮れと共に終わっていく。
眠くて何も手に付かず、かといって眠ろうとすると動悸が止まず眠れない。

睡眠という行為は「死」の疑似体験だと、聞いた事がある。
毎日毎日、大体六時間から七時間程、死の予行練習をしているのだとしたら、今、眠ろうとする体と、眠る事を阻止しようとする交感神経(なのか、物理的なただの鼓動なのか)はまるで、生と死の戦いのようだ。

起き上がった私は駄菓子屋で買った青緑色のプラスチック製の、瓶を模したラムネ菓子の帽子みたいな蓋を外す。布団の上にチラシを敷いて、その上にざらざらと白い粒を転がし、手のひらで鷲掴む。
そしてそれを一気に口の中に放り込んだ。
あー、せっかく歯磨きしたのに。と思いながら、口の中に広がる純粋な砂糖の甘さに頭の中が支配されていく感覚に、なんかもう、もうでもいいや。という気持ちになる。
思いのほか大きな粒を全部飲み込んで、さっき布団の上に敷いたチラシを落ちた砂糖の粉が零れないようにそっと畳み、ゴミ箱に捨てた。
もう二度と目覚めなくてもいいと思いながら、使い古して充電がもたなくなっているスマートフォンに充電コードを挿す。アラームをかける。枕の横に置く。

あの日吐き出さなかったたくさんの錠剤達は、今でも私の血液の中に、微量でも残っているのだろうか。
眠気に引っ張られてだんだんと薄れゆく意識の中で、そんなイメージをした。

さっき噛まずに飲み込んだラムネの粒達が、いつか血液の中でそれらと出会ったら、ふたつ、溶けて混ざった後に、ずっと残り続けてくれたらいいな、と思う。永遠に。



#創作小説

1000文字で小説をかけるかチャレンジをしたかったのですが、ちょっとオーバーしました。

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