準備している来月の仕事のために、以下、個人的なメモです(なので、アゴラには転載しないでください)。
同書の底本は、鈴木清順『けんかえれじい』(三一書房、1970年)。当該部分は「どうも建設はきらいでね……」と題されたインタビューですが、(日本図書センターの版では)初出がわからない。ただし、末尾に日活からの解雇と作品封印に抗議する「鈴木清順問題共闘会議」の話題が出てくるので、1968年夏以降の取材であることは確実です。
インタビュアーが「武智(鉄二)さんの問題が、去年あたり起ってたんじゃできなかったんじゃないかという人もいる」(149頁)とも発言していますが、そちらはこのnote でも前に触れたことがあります。
カルトな作風でいまも人気を誇る映画監督の鈴木清順は、1923年5月生まれ。43年に学徒出陣で陸軍に応召し、最後は少尉になっているので、「将校」として水葬を見送ったのはフィリピンないし台湾での体験でしょう。
同業者だと、先日拝読した前田啓介さんの『おかしゅうて、やがてかなしき』が採り上げる岡本喜八が、1924年2月生まれ(徴兵されるが、出征はなし)。近い世代では、司馬遼太郎が23年8月生(満洲で戦車隊小隊長)、三島由紀夫が25年1月生(徴兵検査不合格)。
みんな、文字どおり生まれた年が1年、時には(前田著が説くように、早生まれが絡むため)1か月ズレるだけで、人生が大きく変わる世代でした。清順が回想する「滑稽きわまりない戦争」も、そこから来る「諦観」のひとつの表現だったのかもしれません。
P.S.
彼ら1920年代生まれを指す「戦中派」の諸問題は、今月末まで有料配信中の昨夏の登壇番組でも議論しています。もしよろしければ。