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好きでインドアになった訳じゃないけれど、

インドア派である。

我が家は最高だ。混雑や待ち時間などないし、天気に左右されず、適温で、冷蔵庫が近い。そして静か。ふとんから出てすぐに仕事もできるし、ちょっと仕事で疲れたらふとんに戻ることもできる。トイレもすぐ。誰も並んでない。身だしなみはナチュラルスタイルで1日過ごせる。土日はどこも混んでいるが、当たり前だがおうちは混んでない。読みたい本のキリが悪くても、長居の遠慮も必要ない。

家を快適に過ごしたいという気持ちから防音や角部屋などにこだわり、家の環境へ投資してきたこともあり、インドアが加速した。そんな訳で、元来の面倒くさがりな性格と相まって、年々外に行く時間が減っている気がする。

ところで、実のところ、好きでインドアになったわけではない。私がインドアになったのには理由がある。

それは、子どもの頃から「ちょっとした体調不良がめちゃくちゃ多かった」こと。ひとつひとつは大したことなくても、ちょっとした胃痛・腹痛、ちょっとした立ちくらみ、ちょっとした頭痛…それらが交互にやってくる。「あ、くるな」というのを身体が反応し頭が察した時の、ちょっとした絶望といったら、ね。

加えて、なぜか子どもの頃から「人に迷惑をおかけしてはならぬ」と思って生きてきた。(自分が被るのはそんなに気にしない)

そんな訳で、「出かけた先で自分が具合悪くなって、一緒に行った人が楽しめなかったらどうしよう」とか「私のせいで団体行動を乱すことになったら大変だ」「それを我慢しながら過ごすのは想像するだけで苦しい」とか思うようになっていた。

私の嫌な記憶の中に、子どもの頃の出演していたミュージカルでの出来事ある。「サウンド・オブ・ミュージック」の7人いる子役のうちのひとりとして出演した。役をもらえた時は嬉しかったけれど、オーディションの時から周りが目立っていた子達ばかりだったから、そもそもビビっていた。

本番当日。自分でも来るとは思っていたが、はい、具合悪い。いつも通り自信のなかった私は緊張でネガティブ拗らせマックスして、「みんなで作るいい舞台を私が台無しにする」という謎の恐怖に陥っていた。(誰からもそんなこと言われていない)お腹がしくしくする。多分泣いていた。母に言うも、言われた母も困るよな。だってもう、本番直前なんだからここで出ないとかない。

舞台はどうにか終えることができたが、またお腹がしくしくするのではと心配しながら歌ったから過去イチ下手だったんじゃないかと思う。上手い下手の前にどうにかやり切ることがあの時は最優先事項だった。(一方でピアノの発表会とかは個人戦なのであまり気にしなかった。私が仮に下手でもミスっても、最悪お腹痛くて休んでも、影響度合いは少ないと思えるから)


そんなわけで、学校行事も気持ち的には苦手だった。というか心配だった。人間関係は大層良かったので楽しみではあったものの、楽しみが重なれば重なるほど「もし具合悪くなったりして迷惑をかけたら申し訳ない」気持ちでいっぱいになる。修学旅行も林間学校も遠足も楽しみでつらかった。

それから友達同士の旅行なども慎重だった。特に、大人数旅行は必ずと言っていいほど断った。行きたいよりも怖いが勝っていた。ただ、家族や気心知れて、最悪自分が具合悪くなっても大丈夫そうな人(気にせず勝手に一人で楽しめる人)の場合はドキドキしながらも行かせてもらった。

付き合ってまだあまり時間の経っていない彼氏との遠出や旅行もだいぶ慎重だった。遠慮して具合悪いって言い出せなさそうだから…

ちなみ私は仕事においては大体3年くらいで転職してきた。そして転職をすると引っ越した。会社の近くに。朝起きられないというのもあるが、具合悪くなったらすぐに帰れるというのもだいぶ心強い。会社員を辞めてフリーになってからはなるべくリモートでできる案件を選んだ。とにかく家にいると安心だったのだ。

おうちが好き、というより、おうちが安全だったのだ。初めは。

本当はワイワイみんなと旅行も楽しみたかったし、せっかく選ばれたミュージカルの役を全うしたかった。できれば心配せずに外に出かけたい。でも、長年この体調と付き合っているうちに、「一人でやる」か「家の近くにいる」ことで色々なことを乗り切れることに気がついた。さらに大人になって自分の判断で行動や選択できることが増えたおかげで「具合悪い」を言わず心配かけずに解決できることも多くなった。

そうして、私は家にいることで安心をしていたのだけれど、徐々におうちの持つ「蜜の味」を知ってゆく。

朝起きて自分でこぽこぽと淹れるコーヒーとか、
パン屋さんで買った玄米入りのもっちり食パンにバターで焼いた炒り卵をほわんと乗せたトーストとか
カーテンをシャッと開けて入ってくる眩しい日差しとか
夏はひんやり冬はぬくぬくの適温の部屋での昼寝とか
自分で作った焼きたてのスコーンとか
選び放題の本棚とか
そこにある心を軽くしてくれるエッセイとか
転がり放題の無印の人をダメにするソファとか
柔らかくてちょうどいい明るさのライトとか
とりあえず冷蔵庫の前で「ぷはっ」と飲んじゃうお酒とか
洗濯したてのタオルケットとか
戸棚に隠しているちょっといい焼き菓子とか
作り置きのつまみ食いとか

とにもかくにも数え切れないほどのしあわせが詰まっている。そして何より、何かあったら休める安心感。

もちろん外にもたくさんのしあわせがあるのだけれど、私はこの安心とほこほことしたしあわせを見つけて、「ここが私の戻ってくる場所だ」と思うようになった。

ラッキーなことに、私は周りにも恵まれており、具合が悪い時もこちらが助けを請うまでは気にかけつつも放っておいてくれる。私は助けて欲しいのじゃなくて、放っておいて欲しいのだと気づいた。一緒にいる好きな人たちには、その人の向き合う時間を楽しんで欲しい。もしもそこに入れてもらえるなら、私が元気なときにその時間に遊びに行かせてもらえたら、それが一番うれしい。

好きでインドアになった訳じゃないんだけれど、今ではインドア万歳である。案外、苦しいことのその先にあるのは、自分に合うもの探しの道と捉えることもできる。(そうじゃないただ苦しい時ももちろんあるので逃げるときは逃げるべし)

もしかしたら、私の暮らし方を「外の楽しい世界を知らないなんてもったいないな」と感じてくれる人がいるかもしれない。けれど、わたしは今日も家の中で人を無印のダメにするソファに寄っかかりながら本を読んでいて、なかなかにしあわせなのだ✌️

そして、不思議なことに、今ではあまり具合が悪くならなくなっていた。

おしまい



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