見出し画像

お久しぶり、血栓よ。①

入院しました!

その通りです。入院しました。
つらつら書いていくので、暇だったら読んでみてね、そんな感じです。

まず、私が高校1年生だった時の話をしよう。


クリスマス前の冬の朝、起床して深呼吸。
すると…めっちゃ肺が痛い。泣いた、泣きながら1階に降りた。
その様子を見て、ただ事ではないなと思った家族が病院に連れていってくれた。

1度目の診察では「うーん、肺炎。お薬出しときますね。つぎに予約は◯日で。」ちっとも良くならない。なんならもっと肺が痛い気がする。
この辺でえら呼吸したいわぁ、肺を通さず呼吸できんのか?とか考え出す私。魚になりたい、虚無。って感じ。

2度目の診察「CTしてみようか。」
大人しくCTにかかる。
「紹介状書きますのでこの病院に行ってみてください。」
うわーっ、肺炎ではないのか…。 
紹介先の病院で「大学病院に行きましょう。今から電話するんでちょっと待ってて。」
雲行き怪しくない!?ちょっと待って…?

大学病院「肺炎じゃないね。血の塊が詰まってる。今から足のエコーして
血の塊が無かったら帰れるよ〜。」
足のエコーを大人しく受ける。
「あ、いっぱいあるね…入院しましょう。」
入院決定★
親も私も唖然、だって何の用意もしてない。しかも、この病院まで1時間半もするんやで…?
とはいえ嫌々言ったところで入院の事実は変わらないわけでして。
その日、とりあえず私は近場の衣料品売り場でパンツを買い、コンビニのおにぎりを持ち、入院生活を迎えた。

入院生活って大変ね

翌日には担当医師が決まり、看護師が決まった。
実家から離れた病院。いやはや、なかなかに孤独である。
検査も始まった。移動ははじめのうちは車椅子。
あの、歩けまs(もしものことがあり得るので!と押し切られた。

くだった診断は肺血栓塞栓症
ふくらはぎのあたりにできた血栓(血の塊)がスポーンと肺にとんだらしい。
ただ、完全に詰まってはいなかったのが幸いで、肺の機能には問題がほとんど見つからなかった。こういうとこは根性のある身体だ…。
いやぁ、まあ、詰まってたらそら痛いわな、という感想しかなかった。

いろいろ割愛して。
担当医師は、齢15の女子がなるような症状ではない、ということで色々な検査をしてくれた。
癌検診は一通りしてくれたり、血液を他の詳しいところに送って検査してみてくれたり。
ちなみに1番辛かったのは大腸カメラ。ポカリをうっすーくしたようなまずい下剤2リットルを渡されて飲んでね♡
飲んだら飲んだで出るのは液体!透明!トイレから離れられない。
カメラはゴツゴツ当たって痛い。ウーウー言いながら看護師さんの手を握りしめてたなぁ。
で、結果は原因不明。考えられる小さな可能性もあたってみたけどダメだったらしい。
当時の私には理解できないことだらけだったので、そゆこともあるわな、という感じで、およそ3週間の入院期間を終えた。

ちなみに、このときワーファリンという
血をサラサラにする薬を処方され、1X年付き合っていくことになるのである…

高校生編の修羅場

正直入院期間中は大腸カメラ以外、なーんもしんどいことなかった。
同室のおばあちゃんも皆いい人ばかりだったし、
今の情勢と違ってお見舞いも来てもらえてたしね。

そんなことより大変だったのは、入院中に進みに進んだ授業だった。
数学がもとより苦手なんだけど、三角関数も終盤でテストは大惨事。
未だに分からないままにしています。
なんやねん、sin、cos、tanってと言う感じ。
次に退院後、〆切が3日後に迫っていた家庭科の課題。
先生に譲歩の交渉に行ったら「病気なんかになるあなたが悪い」とか言われたよね。誰もなりたくてなってるもんじゃ無いんだよ…
それなのに年間の科目賞に選んできたこの先生には理解が及ばない。

最終的には
クラスに友達作れなかったのも災いしたかな、とは思うんだけど、
高1の春に元からの友達と私だけ離れたクラスにした学校も恨んだよね。


そんなことを思い出しながら書いてみた。
案外覚えてるもんですねぇ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?