見出し画像

雑文サイト話

 雑文、という単語に思い入れがある。辞書的定義はこうだけど、ちょっとニュアンスが違う。

これといった、まとまった内容のない文章。専門的でない、軽く書き流した文章。また、これらの文章をさげすんでいったり、自分の文章を卑下していったりする。(コトバンク)

 雑文といえば「雑文館」だ、とリンクを貼れればよかったのだけれど、今はインターネットアーカイブにあるかどうか、という存在になっている。まあ、このサイトが「雑文サイト」という概念を生み出し、そういう文脈での「雑文」という概念を成立させた。

 この項で言う雑文というのは、私が定義するなら「コラム/エッセイの形式をとった、エンタメを目的とした文章」となる。コラム/エッセイはあくまで形式なので、文中の主張が著者のそれと一致していなくてもよいし、エピソードに嘘があってもよい。なんならエンタメを優先するので、形式が多少乱れて短編小説になったところで構わない。

 雑文館が流行りだしたころ、インターネットは実用的な話ばかりだった。そこに、「エンタメに振り切った文章」という概念が現れ、かなりびっくりした記憶がある。いや、インターネットに限らずこういう形式の文章表現ってないんちゃうか。みたいなことをここまで明確に考えたわけじゃないけれど、私は雑文館的な文章を追い求めてネットをうろうろすることになる。しまいには自分でも書き始める。

 同じようなことを考えた人はたくさんいるようで、「雑文祭」なんてイベントが開催されたりもした。最初は読者参加型ではなかったのでちょっと違うかも。

 「テキストサイト」なんて言葉もあるけれど、こちらはもうちょっと振り切った印象。「エンタメを目的とした、テキストをベースにしたなんでもありの表現」くらいだろうか。テキストサイトは雑文サイトを包含する。

 それでも時代の流れは残酷で、企業がエンタメを提供するようになったからか、SNS、特にtwitterの普及からなのか、はっきりした理由は分からないけれど雑文サイトはゆるやかに私の目に触れることが減っていく。私が探さなくなったのか、そもそも供給量が減ったのか、それは正直よくわからない。

 結局「雑文サイト」「テキストサイト」で語られる文脈としての文章に、雑文あるいは他の単語でもいいのだけれど、一般名詞は定着することなく現在に至る。テキストベースのエンタメで有名になる人もぼちぼちといるけれど、それ以上に動画で有名になる人が増えた。

 良し悪しではなくちょっと寂しいとは思う。思うのだけれど、今雑文が流行ったとして私が読みあさるか、というとちょっと疑問だし、そもそも流行るイメージがわかない。現在私がnoteで書いているのもこの項で言う雑文ではなく、まあコラムと言ってよいものだ。こんなことを思いつつ、noteの記事には必ず#雑文タグを入れている。そして結果論として辞書的な定義の雑文になっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?