婚約者が消えた。【読書】宮部みゆき著「火車」
書籍紹介あらすじの、最初の一文くらいの情報で読み始めることがままある。
婚約者が姿を消した──。
打ち切られる捜査。残された婚約指輪。消えた婚約者。最後の会話。
辻村深月著「傲慢と善良」、「消えた婚約者」との一文でぼくは勝手に「ははーん、この小説はアレだな?」って思い込んだのである。装画を見ても「ははーん」って思った。思うでしょう? 思いますよね。
だからびっくりした。
アレじゃなくて「そうきたかー」的な。
物語には、だいたい第三者的視点をもって主人公サイドに語りかける役柄ってのがあるのだが、「どうしてそういうこと云うの」ってレベルでお辛かった。分かってるよ分かってるよ。文字にしなくても分かってるよ。でも活字にされて本にされたら、より一層に心が蹴られるンだよ。電子書籍版にしなくてよかった。紙に印刷されたものだから、打撃力が増した。
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消えた婚約者を探して欲しい──。
休職中の刑事に舞い込んだひとつの相談。調べていくうちに、それは単なる自ら失踪とは異なった様相を呈し始める。
宮部みゆき著「火車」は92年の出版で(文庫は98年)、元号なら平成一桁時代の物語である。
作中で「そろそろ携帯電話を持たなくちゃなぁ」ってセリフがあって時代を感じる。他にも、今じゃどうにもムリな手法を使ってたりするけれども、90年代も初頭ってそんな時代だったのだろうなぁ、というよな気分で読む。あ、バブルがはじけた頃か。みたいな。
だからって、人の気持ちというのは30年くらいでもそうそう変わらんし、なんなら、だいたいの物語は「沙翁を読め」で済んじゃうし、だから、いつ読んでも、人の思いはたいして変わらぬ。
ただ幸せになりたかっただけなのに。
タイトルも装丁も美しいこの本は、ミステリ仕立てで、サスペンスで、先の分からないドキドキ感があって、物語の着地点が全く見えなくて、だからページを繰る手が止まらくて、寝不足になる。
グラシン紙を巻いて、ブックカバーをつけて。読書の、時間だ。
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妻が失踪した──。
ギリアン・フリン著「ゴーン・ガール(上・下)」は、パートナーの失踪から始まる。のだが、その失踪原因の状況証拠は全て夫に向けられており、彼は妻を探すと共に、自分の潔白も証明せにゃならぬ、と、かなりの窮地に陥る。
「ソレ」は本当に正しいのだろうか? 物語に翻弄されていく。
著者の一作目、「KIZUー傷ー」と二作目の「冥闇」と、発表順に読んでいたが、いずれも、どうにも痛みを伴う物語と思った。
読んでておつらい、おつらいなぁ、と思いながら「ゴーン・ガール」を読む前に、作家読みをしておきたかったのである。特に理由はない。
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「ゴーン・ガール」は原作を読んでから映画を観たので、その逆はどんな印象になるかを知ることはないけれども、個人的には、書籍から映画の順で良かったと思っている。原作は原作の、映画には映画の。それぞれに良さがあって、呼応し合うような。
焦点の当て方の違いがよくて、どちらがどうのでなく、それぞれに楽しめた。でも映画は「あの」デヴィッド・フィンチャーが撮ったンだから、と思って観ちゃったのである。
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婚約者が、配偶者が、いなくなる。
誰かがいなくいなる。
導入として擦られまくっていても、誰もが日常的に思い、想像できる範囲である。だから、物語の行く末を知りたく、ページをめくらずにいられない。
ただ思いを知りたかっただけなのに。
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