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一回目の検査。【脳と心】自我と彼我3。

別段、意味ある記事ではないのである。備忘録である。
例によって詳しい話でもなく、ふわっとしたところでまとめてる。

治療って言葉に、必ずしもしあわせになる、とはないんだなぁって、そんなことを思った。

例えば、抜いた親知らず。

永久歯は新しく生えたりしない。

と、実感したのは抜いた後で、ぼくはそんな当たり前のこともよく分かってないで「あ、はい」抜きます、みたいな感じでお願いして、抜くまでの間に色々思って、抜いた後も、なんだか色々と考えていて、どうやらそれが喪失感であると思い当たる。

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そんな次第で、治療後の経過を見るための検査を受けたのである。
結果は、予定通りに例のヤツは大きくなっている。
これは治療後に起きることで、半年から一年の間でひとたび大きくなって、それから小さくなるよ、と知らされている。

今回、その一回目の検査で、膨張率は、通常よりはやや小さいとのことなので、あまり悲観することでもあるまいに。

予定通りに大きくなっているけど、一般的なサイズよりは小さいよ、ってことである。

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耳鳴りがひどいです。

担当してくださった先生にそう告げたら、ああ、それは「幻肢痛みたいなものだよ」って云われて、はぁ、ソウナンデスカって、なかなかに分かりやすい説明を受けたと思った実際ぼくは納得した。
それを司る機能の一部を失ったことには変わりないのだからして、それが「ある」と脳が錯覚してる状態とのことである。先生は「何かに集中して意識を反らすようにするといいよ」と仰った。

今も、耳のそばで鳴ってはいるけれども(奥だったりすることもある)、音楽をかけながらでも作業に没頭してたら、音楽もろとも耳鳴りが消えてしまったりするものであるからして、これぞ小人閑居として不善となすを地で行くようなものだと考える。

一説には、ヒトの集中力は60-90分くらいで、場合によるけど、120分くらいまではあったりなかったりすることもないので、その分の揺り戻しはある。

ぼくは元気の前借りをするタイプだからして、そればかりは致し方ない。

いわゆる創作活動的なものが難しい。
なので、プラモデルを作るってのは実はそんなに悪いことじゃあないと思ってる。ガンダムとかゾイドとか。スケールモデルならいざ知らず、キャラクターモデルは自分が思ったものが「答え」で完成なのだからして、そういうものであるとビシッっと思ったらそれでいいのである。それに、殆どのキャラクター系プラモデルは、組み立てやすい作りになっておる。

組み図通りにパーツを切り出してパチパチとはめ込んで、これどうなってるんだとか少し悩んだりしながらでも、必ず完成する。グレードによるけれども、まとめてやれば半日から一日、ちょこちょこやっても数日で完成になる。呑気にやれば1、2週間、それ以上も楽しめる。

一応は手順だとか工具だとか、部分塗装だとかを考えるのだから、箱から出して組み立ててお終い、ってわけでないので、ヨシである。プラモが好きでよかったなぁと、ちょっと思った。
立体パズルめいた構造だからちょっと首を捻ったり、細かいパーツの処理で手先を使ったりとするので、これはこれでアリだ、と感じてる。

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いっときは「一日二錠」のルールを破ってまで飲んでいた頭痛薬も、今ではお役ご免になりつつあって、とても安心している。

暑かった日々が終わろうとしていることに起因しているかもしれないし、してないかもしれない。

それでも、飲む薬が減るのは良いのである。

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子供の頃から病弱で、だから病院ってものに抵抗はなかった。
歯が痛くて正露丸を詰めたよ、なんて話をきいたときはのけ反った。

確かに正露丸の効果に「歯痛」の文字はあるが。
歯医者行けよ、もぅ。って思う手合いなのである。

なので、病院に行く、治療して貰う、お薬を処方してもらう等々は、ぼくにとって身近なことであって「注射怖い」って聞かされた時はどうしましょうって思った。献血の針の太さを知ったら卒倒するんじゃなかろうか。

病院で使われる針ってびっくりするほど細い、ってくらいに献血してたんだよなぁ400ミリリットル抜いてたんだよなぁもっと抜いても大丈夫ですよって云ったら笑われた。でも、400ってペットボトルをちょっと飲んだくらいの分量なのだからして、そう思いながらペットボトルを見ると結構な量ではあるなぁとは思うには思った。

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病院に抵抗のないぼくは、治療することは即ち「良くなること」と無邪気に思っていたのである。そんなわけなかろうもん。
分かっていたのかもしれないけれども、そうと認識し、理解し、納得しているのはまた別のことだ。

ぼくは医療だの医学だのを信じてる。
それを疑ってどうするんだ?

けれども、それが「しあわせ」かどうかは、違ったってことだ。
不幸だとは思えども、なんとなく「しあわせじゃないなぁ」と感じることがある。

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そう云えば、ひどい内科の先生にあたったことがあった。
近所であったから主治医とは呼ばなくとも年に何度か行ってた。
思い返すに「なんとなく」の違和感は、なかったこともなくはないのだが確信はない。ひどく具合の悪いときに、なんとも間の悪い対応をされ、ぼくは内科を変えた。
そこから徒歩5分ほど先の別の内科は、とてもいい先生であった。

 *

耳鳴りは今も続いている。
耳の聞こえ、聴力は変わったかどうか分からない。

集中力は落ちた。短気になったと折々に思う。

これを書くのに何日もかかっている。

書きかけのものが幾つもあって、一度に書き上がらなくて、平行して少しずつ進めている。一週間前には完成していたはずのものは、まだ出口にすらたどり着いていない。

そんなこんなのあれこれで、生活の質について考える。

あの時、「治療します」と答えた自分を疑っている。

もし、もう一度あの時あの瞬間に戻ったとしたら、ぼくはどう答えただろうと、またもや、益体もないことで思い悩んでいるのである。

これから3ヶ月後に、また検査である。
それから治療後の半年から一年の期間に入る。


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