初心者のフェルメール
こんにちは 美術鑑賞が趣味の蓬田(よもぎた)でございます。
今回は、フェルメールについてです。
ここ数年、フェルメールの作品がたくさん来日して、すごい人気ですね!
わたしも美術展に行って、いくつもの本物のフェルメールを見ました!
日本でフェルメールがこれほどの人気になったのは、ここ30年ほどだということです。
それでは、フェルメール作品の特徴と、代表的なフェルメール作品を紹介してみます。
改めて調べてみると、意外なことがいろいろ分かり、とても興味深かったです!
作品を先に見たい人は、目次の「フェルメール作品 年代順に紹介」からご覧下さいね。
みなさまのアート鑑賞の参考になりましたら幸いです!
フェルメールはデルフトの人
フェルメールは1632年(日本は寛永9年)に生まれ、1675年(延宝3年)に亡くなりました。
1632年生まれの著名人には、哲学者のジョン・ロック(イギリス)やスピノザ(オランダ)がいますね。
フェルメールはネーデルラント(今のオランダ)のデルフトで生まれ、同地で亡くなりました。
人生のほとんどを、デルフトで過ごしたようです。
デルフトと言えば、焼き物の「デルフト焼き」が知られています。
海外陶器が好きな人は、デルフト焼きをご存じの方も多いと思います。
白地に様々な模様が絵付けされる陶器です。絵付けされた柄を見るだけでも楽しいです。わたしも好きな陶器です!
作品の特徴
話を戻しましてフェルメールです。わたしなりに、フェルメール作品について、特徴を4つにまとめてみました。
1. 寡作だった!
現在確認されているフェルメールの作品数は36と言われています(諸説あり)。
年に2、3の小品しか描いていません。
それが可能だったのも、妻の母親が財産を持っており、経済的な援助をしてもらっていたようです。
さらに、自分では父親が経営していたパブ兼宿屋を受け継ぎ経営しました。
家業のパブ兼宿屋では、ほかの画家たちの作品も展示し販売していました。フェルメールは画家であると同時に、画商でもありました。
義母の援助、パブ兼宿屋の経営からの収入があったため、絵だけで生計を立てなくもよかったという事情があるようです。
年に2、3作品しか描かないのですから、画家というより、経営者という面が強い生活を送っていたのかもしれないです。
フェルメールは作品の人気と知名度に比較して、どんな人生を送ったのかあまり知られていないようです。
わたしも今回改めて調べ直して、フェルメールの人生や作品制作に対してたくさん発見があって、大変に刺激的でした!
2. パトロンがいたのでじっくり描けた
上記の寡作のところでも書きましたが、フェルメールには裕福な義母という存在がいました。
それ以外にも、デルフトの醸造業者であり投資家でもある実業家がフェルメールのパトロンとなり、彼の画業を経済面で支えました。
こうした経済的な後ろ盾があったため、フェルメールは当時、金よりも高価と言われていた絵の具を使って絵を描くことができました。
その絵の具は、鮮やかな青い「天然ウルトラマリン」です。
原料はラピスラズリで、アフガニスタンで採れる石でした。
こうした高価な絵の具を使って、じっくり作品を仕上げることができました。
3. 作品が思いのほか小さい
展覧会で実際に見て意外だったのですが、フェルメールの作品はどれもとても小さいです!
《真珠の耳飾りの少女》は、45センチ×40センチほど。
《地理学者》も、52センチ×45センチほどしかありません。
わたしは実際に見るまでは、もっと大きな作品かと思っていました。
作品が小さい理由は、作品を買う人たちは貴族や教会関係者ではなくて、地元の経済的に成功した人たちだったからでしょう。
彼らは、購入した絵画を自宅や経営する会社などに飾ったことでしょう。
一般の人よりは大きな家だっかもしれませんが、教会や宮殿のような巨大な空間ではないですからね。
4. 特有の“静けさ”
フェルメールの作品をひとことで表現すれば「静」と言えるかもしれません。
レンブラントのようなダイナミズムもないし、宗教画にあるようなドラマチックさもありません。
ただただ、あくまでも、佇むように静かな趣です。これが人気の秘密なのかもしれないですね。
個人的な話ですが、わたしは最初、フェルメールの作品を見たときは、あまり印象に残りませんでした。恐らく、この“静けさ”に、魅力を感じていなかったんだと思います。
でもここ数年、人物の緻密な描き方や、画面を覆っている光の表情など、少しずつ好きになってきました。
フェルメール作品 年代順に紹介
フェルメール作品を、年代順に厳選してご紹介します!
↑↑↑ 1657年頃《窓辺で手紙を読む女》
↑↑↑ 1657年~1658年頃《小路》
↑↑↑ 1658年~1660年頃《牛乳を注ぐ女》
↑↑↑ 1660年~1661年頃《デルフトの眺望》
↑↑↑ 1664年~1665年頃《水差しを持つ女》
↑↑↑ 1665年~1666年《真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)》
↑↑↑ 1668年《天文学者》
↑↑↑ 1669年~1670年《恋文》
↑↑↑ 1669年《地理学者》
↑↑↑ 1670年頃《手紙を書く婦人と召使》
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如何でしたでしょうか。
みなさまのアート鑑賞が、さらに充実したものになるよう願っております!
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