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生きるということ

生きるということ、感情が芽生え、何かに対して何かを想うこと。
教えられた価値観通りに、嬉しくなる筈の場面で嬉しいという感情を使い、悲しいという感情を使うべき場面で、悲しいと感じること。あるいは、自動的に引き起こされたそれらを自然と受け入れること。
生きるということは、まだ血が通い、死んだと判定されていないこと。
生きるという意思があること。

なぜ、生きているのだろうか。

草木が生い茂っている光景は、私にはとても心地がよかった。そこは生命に満ち溢れている。風に揺られるたくさんの緑、太陽はきらきらとした光を葉の隙間から地面へとこぼしていく。
それは昔好きだった万華鏡なんかよりも、ずっとずっと整っていて、美しい。

生きる理由がなければ、死ぬ理由もない。ただそれだけだ。
突然、見慣れた家の中から私自身や、私物が全て消えて、そして、何もなくなる。姿をくらまして、連絡を閉ざせば、知人からは「いなくなった人」になる。それが仮の死であることを、私は知っている。今の脆弱な気持ちでは、到底こなしきれないことも、私は知っている。

パフェを食べたい。プリンを作りたい。プリンが食べたい。ドーナツのわっかをくぐりたい。おはぎの中に住みたい。わらびもちの上で眠りたい。溶けたアイスの中で泳ぎたい。牛乳とひとつになりたい。
こんなことを言っている私と、憂鬱な自分は同じ人間なのだろうか。
そうではないと思う、そうであってほしくないと思う。でも、外から見た事実は違うのだ。

ゆっくりと時間が進む。未来が現在の顔をして、さも当然のようにやって来る。私はどうすることもできなかった。生きることに抵抗することも、生きることを満喫することも。ただ、つまらない空想をして、道化になる以外、何もできなかった。

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