とりとめのない文字

1.まだ眠るには早い時間だったので、オレンジ色の読書灯を灯した。普段は灯さないその赤に近い色は、なんだか気分を高揚させる効果があったようで、少しふわふわとした気分になった。
静かに踊る。足をそっと出す感覚がその時の私には心地よく感じられて、または指先までピンと、床に平行になるように伸ばすことで幸せを得ることが出来た。些細な一挙一動が私の心をも躍らせる。束の間の幸福。

2.食事もまた、私にとっては幸福の象徴的行為だった。今日はそれを思い出した。
抗うつ薬を飲み続けて2ヶ月は経っただろうか。慌ただしい脳内は、若干の静けさを得た。同時期、常に食事のことを考えていたのが、あまり考えないように変化した。
それでも減り続ける体重に恐怖して、最近は3食食べるようになった。
美味しいご飯を食べると、嬉しい。そんな当然のことに気付いていちいち幸福の浴槽に浸れる自分は幸せだろう。

3.ひたすらぼんやりしている。それは拒むことのできない脳の停止状態に近い。
確かに過去に、それらの幸せを感じたと言えるだろうけれど、ひとつひとつの出来事がただいくつかの文字列と数枚のぼやけた写真状態の画で脳内に描かれるのが寂しいと感じる。
今朝踊ったことも、身体を伸ばした気分の良さも、文字を書くという行為の気持ちよさも、美味しい晩ご飯を食べたことも、新鮮な光景を目にしたことすら、いずれは風化して、そこには塵がいくつか残れば良い程度だ。
その速度が、ぼんやりとしてしまうことによって、はやくなっている気がする。

4.お酒を飲みたいと思う。あるいは、吸ったこともない煙草を吸いたいと思う。その心地に浸りたいという心境と、自分という存在を駄目にしたい気持ちがある。
堂々と前を向いて歩けるような人では既にないし、自己嫌悪であればいくらでも出来そうなものだが。その行いをすることは、ある意味自殺できない代わりにすら感じる。自分の首を絞めたいと、時折思う代わりなのだろう。
まあ、ストレスでなのかお酒にはめっぽう弱くなって飲むことがなくなったし、幸か不幸か煙草嫌いしか周囲にいないので実行には至ってないが。

5.歌と文字には、ものすごく一体になれる感覚がある。絵には入り込める隙がない。色や形状を素敵だと思うことはあっても、その世界が私にはないものであることを私は知っているし、同調できない。映像はまた別とは思うけれど、そうだとしたら何が違うのだろう。

6.助けや救いを周囲に求めることは難しい事だと思う。
たまに取り乱してそれどころではない時もあるが、ふつう、相手との距離感と共に喋る内容を考える必要だってあるだろう。
それに、そこまで真剣に気軽に相談できる相手が私の人生にいるわけがないのだ。それは私の疲れや、臆病のせいだ。
でも、偶然とすら言えるような他者のアクションに私は時折救われる。
人のやさしさを忘れたくはないと思う。どうか。

7.あまりニュースや話題の出来事に反応できない、誰かの色恋沙汰なんかや、果ては周囲の目も。
周囲のことへ気が向かないほどに自分の事で精一杯なせいも少なからずあると思う。あるいは、自己に火の粉が降りかからないのであれば極端に言えば何事もどうでもいいのだ。
火の粉が降りかかるかどうかの感知センサーに問題がある可能性もあるし、それに、全く気にかけないわけではないが。
少なくとも、誰かが何かをやったことに対する疑いや、社会的制裁が妥当なものか判断するほどの目は今の私にはない。

7-2.老いた人間がブランコに乗っていても、それが普通のことであってほしい。私は年老いてもブランコに乗りたい。

8.孤独、食欲、文字、水滴、蝶

9.私も誰かが満たしている何かが欠如しているだろうし、私が今日満たしていたものが明日消える可能性だってあるわけだ。
とにかく、平和に生きていたいだけなのだ。それは我儘な願望である。

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