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雑記

寝床から、奥の部屋のオレンジの灯りと窓から入る深い青色が交差した壁を見て綺麗だなと思った。でもそれは束の間、1分も眺めていたらその綺麗さや壁に向けた愛情に似たあたたかな気持ちは周囲に溶け込み、全て消えていた。

どう生きるべきか。私はさっぱりわからない。
今のところ、自分が生きていたことをどこかに残したい気持ちはある。それが他者の記憶の中という、儚いところでも。または、進化と共に…あるいは突然潰えてしまう可能性すらあるデータ化されたこういう世界ででも。

文字で残せばいいのか、思い付きで描く漫画のようなもので残せばいいのか、イラストで残せばいいのか……。
思い付きで文字や漫画のようなものを描くよりも、小さな欠片を大事にとっておいて、大きな何かを作る糧にしたほうがいいのか。
大きな何かを作ろうとして待っていたら、何も作れないまま終わるような恐怖感にかられていて、大小さまざまに色々な物事を並行して少しずつ作っているが、それは愚策なのか。
文章を書くのは好きだ。でもそれを使って何かを伝えることは得意ではないから、漫画を描く。別物と認識はしつつも、漫画は文章の延長線上に近い。
どれも好きだが、人に受け入れてもらうため、あるいは生活の道具にする方法は、何もわからない。

ただひたすら生きることを続けて、この先、何があるとも思えない。靄のかかった暗く狭い場所で、視界の届く範囲で、たまに綺麗なものを拾う。あるいは、ひどく醜いものを見せ付けられることだってあるだろう。
その連続。連続を受け入れるほかない。懐中電灯なんて便利な道具は私には発明しきれず、亡霊となり彷徨う。深夜、森の中。

鋭く美しい、音楽のように奏でられた文章を私も書いてみたいと思う。憂鬱の底から浮き出た、そのものや、希望のかけらや、やさしさを絵にしたいと思う。誰かに安心してもらいたいと思う。
この世の中にあってほしいと思う何かは、私の中にはあるのだろうか。それを作れる力はあるのだろうか。

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