1歩目 (後半) 日本一小さい市は大きな宿場だった!! 蕨宿-浦和宿

15時30分- 日本橋を出て4時間30分、ようやく荒川にでた。

荒川までの道のりはこちら

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3.荒川~蕨宿(道中) 荒川でかいなぁ

荒川は大きい。板橋には浮舟という地名があるように、川を渡るための街があったほど、昔では川を渡るということは一苦労だったのだろう。橋のありがたみを感じる。

河川敷では少年たちがサッカーをやっていて、川では釣りに興じる人がしばしば。いい眺めだ。

歩くと、県境のプレートが目に入る。

ついに、ようやく東京を抜け出すのだ。

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埼玉県は戸田市へ入る。こんにちは。埼玉県。これからお世話になります。


足はすでに土踏まず付近が痛いけど、看板を見て少しは和らいだ。

ずんずん歩いてゆく。

ーずんずんー

荒川を渡ると、本格的に戸田市。
ボートレースの看板に目がいくが、興じている暇はない。

おなかが減った。渡った先の公園でさっきのお結びを食べよう。

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前回のnoteにあげた板五米店のお結び。鮭、高菜、すじこ。どれも美味しそうだ。

ここまであまり食べてこなかったもんなぁ。

ぱくっ。お米の一粒一粒が際立っていてうまい!
普段あまりこうやって味わうことなかったもんなぁ
会社のお昼はスマホポチポチしながらだし。

普段と違う感覚で西日を浴びながらの食事を済ませてたら再び歩き始める。


目指すは蕨宿。

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戸田市のわずかながら残る旧中山道の脇にあった自販機。

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こういうお酒の自販機ってなくなっちゃったよなあ。酒屋さんの他に八百屋さんの前に置いてあったイメージ。

ずんずんーー


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高崎まで91キロ。

あれ??荒川手前から1キロしか減ってない???

そんなに歩いてないのか!?それとも標識が嘘をついていたのか??

分からんが、若干MP(メンタルポイント)を削られた。標識、おそるべし。

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ようやくついた。この時すでに16時50分。


4.色濃く街並みが残る蕨宿

日本橋から数えて2番目の宿場、蕨宿。本陣が2件、脇本陣1件旅籠23件を構えた。69宿場のうちでも5本の指に入る大きさを誇った。江戸へ向かう人には荒川を超える前の宿場として利用されていた。

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板橋宿の場合は街道全体が「ここが板橋宿ですよ!」感はなかったのだが、ここ蕨宿の通りは「歴史を大切にしよう!」感が強く出ている。

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時間が遅かったことで入れなかったのが非常に残念だが、歴史民俗資料館があった。

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本陣を復元した本陣跡。資料を元に再現されたものだが、中山道を歩いてきて本陣にお目にかかるのは初めてだ。「おぉ」声が出た。
西日に照らされた建物は美しかった。


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むかしの蕨宿と現在の蕨宿を上下で分かりやすく比較してくれている掲示板。

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もう17時を回っている。夕焼けの街並みがとても美しい。

むかしの人はこの時間にはみんなもうここを宿として泊っていたのだろう。江戸から出た人は荒川を渡り、本格的な旅への想いを。江戸へ向かう人は旅の最後の宴をしていたのかもしれない。

蕨宿。歴史を大切にして、今へ未来へ紬ぐために地元の方が大切にこの旧中山道一帯を守っているのだろう。大きな現中山道の一本横、1キロくらいの脇道には今は無き宿場を想像させる心がざわつく空間があった。


さて、蕨宿を後にしよう。今日はまだ先に進むのだ。


5.蕨宿~浦和宿(終着)

もう17時過ぎ。最初は大宮宿まで!と意気込んでいたが、今日は浦和宿までだろう。

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蕨宿を出たあとも旧中山道は続く。

宿を出ても雰囲気はあるものだ。

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小さな橋にあった板。何気ない日常にも過去がある。

ちゃんと保全してくれている街の方に感謝だ。こういう方々がいるから僕たちは歩き甲斐があるのだ。ありがとうございます。

蕨~浦和までの道のりは今まで歩いた旧中山道の中で一番狭く、歩道はほぼない。足場も少しごろごろしていて、道は直線ではなく蛇行している。昔の姿を現代へ残しているのだろうか。

どんどん進もう。

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ようやく一里塚を発見!!!今回の旅で初めてな気がする。

ここは何里なのだろうか。6里くらいかな?

ずっとGoogleMapsを頼りに歩いているが、

江戸時代に歩いていた人にとって、1里を教えてくれるこの塚はどんなにありがたかっただろうか。僕の「高崎まであと何キロ」はメンタルにくるが、目印というのは本当にありがたいものだ。

ーーずんずんーー

浦和に入るまで相変わらず細い道を歩いていた。

「もう少しだな。」そう思い、気合を入れなおした僕の目の前にあったもの。それは・・・・

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そう、坂である。

「マジかよ」

無意識に声に出していた。

この坂の名前は焼米坂。どうやら江戸時代から蕨~浦和間の難所であったようだ。情報を見ずに歩いていた僕はむかしの人とシンクロした気がして、後からうれしくなった。

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人一人がやっと通れる歩道の坂道を何とかあるく。交通量が多く、対向車とかすりそうである。怖い。


難所クリア。さあ、浦和宿までもうすぐだ。


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ようやく道らしい道になり、浦和っぽい感じが出てきた。


その前に

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狛犬ならぬ狛ウサギがいる調神社で一日健康に歩けたことへのお礼をした。狛ウサギ、珍しいなあ。


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ようやく到着である。

浦和宿に関しては翌日朝のほうが情報あったので、そちらで。


本日の歩きはここまで。現在18時30分。

ここまで7時間30分、歩いた距離28キロ程度。

人生で一番歩いた!!よく頑張った!!!!

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さて、いったん家に帰ってまた明日ここからスタートしよう。

あ、その前におなか減った!! 娘々のスタミナラーメン食べたいが、、、隣駅だしここは我慢だ!!その辺でラーメン食べて帰宅しました。


6.よものちょこっと余談

恒例にしたい楽しい情報満載(当人比較)のこのコーナー。

今回はこちら!!!蕨~浦和間の旧中山道にて。

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この側溝の真ん中にあるもの、何に見えます?

こうやって写真にすると分かりやすいけど(ボケててすみません)、

さいたま市の模様みたいなものが埋め込まれているのね。

これ最初は「真ん中に缶カラみたいなの潰れているなぁ」と思って歩いてたの。そしたら次も、その次も同じところに缶カラがあるわけですね。

「なんでこんなにみんな均等に捨てるねん!!」と心の中で突っ込んだけど、よく考えたらそんなことないもんね。よく見たら上述のものでした。笑

以上、よものちょこっと雑談でした。

次回は浦和宿~桶川宿です。発展著しい浦和~新都心~大宮、そしてちょい田舎へっていう流れがよかったです。次回もお楽しみに!続く!


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