布団にくるまる。

最近ブログを放置していたのは、構っていられるほど余裕がなかったから、なのかもしれない。
めまぐるしい変化があった。ついていくのに必死で、酷使した体は悲鳴をあげて、ものすごい腰痛に悩まされた。

その間、私は何度か人の涙を目の前で目撃した。決して私が意地悪したとかではないのだけれど、じゃあなんだ、と言われると、ちゃんとわかっていないしうまく説明もできない。
その涙はどちらかというと希望に近い涙だと私は思っている。悲しいよりは、少し救われたときの涙に近いような、そんな気はしている。
本人はどう感じているかは、わかっていないし、聞かないままでいい気もした。

そのときに私が感じることは、ただ、私の過去がこうやって報われるんだな、というしみじみとした実感だった。

昔、私が私にしてあげられなかったことばかりで、悲鳴をあげ続けた私の心が、結局粉々になってしまって。償いきれない想いは罪悪感と、激しい他責思考や恨みに変わってしまって。それが一気に押し寄せてめちゃくちゃになった日々を、それでも足元から再建していった結果。

口をついて出てくる言葉は自分の腹の底にある純粋な想いで、私が1番私に近い状態の、確信をもった言葉であったのだろうし、それが、誰かの心の底に押し込まれた悲しさを少しだけほぐしたとき、その誰かは少しだけほっとした表情を見せるから。
そのときに、私は過去のズタズタになった自分を、なんだか救えたような気持ちになった。
報われる、ってこんな感じか、と素直に思った。

すごく悩んでいた頃、「私は誰にとっても取るに足らない存在なんだから、何も言う必要なんてない。」と本当に思っていて、しっかり日記にも残す始末だった。口をつぐんで生きようと思った。私が何を言ったって、無駄だと決めつけていたあの日。

無駄だとしても自分の為に叫んだらいいと、思えたのはいつの日からだろうか。
自分の為に声をあげていたら、何故かそれを必要とする人もいたりして。

消してしまいたい過去ばかりなのに。目の前の人に言葉を尽くしたいときに、それがこんなにも力になってくれるなんて、思いもしなかった。

世界ってなんだか不思議だと、そんな呑気なことを考えて、今日は布団にくるまる。
明日もよくわかんないけど、とりあえず生きてる。それだけでいいかなって思う。

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