伝わらないこと

エッセイが思わぬ印象を与えて、その印象を受けた上での反応が、私にとって非常に気分の悪いものだったから、少し心がくたびれてしまった。

詳しく言うならば、こうなる。
友達の笑顔が大好きで、たくさん料理を作って、お互い幸せになったエッセイを書いた。

それを読んだ人達の中で、何か勘違いが生まれた。勘違いした人達は、「この人は料理が好きだから、当然、自分にも料理を喜んで作ってくれるだろう。」という前提の元、ニタニタとした笑顔を見せながら、私を褒めているようでその実、自分の欲求をぶつけるだけの感想を述べた。下衆なネタも交えて。

彼らは共通して、「女性は料理して当然、家庭的であって当然」という前提が透けて見えた。
そして、「金さえあれば女は喜ぶ」という前提も相まって、「ウン千万円あげるから、うちの妻と交渉して、離婚させて、自分がボケても介護してくれ」といった、誰も幸せにはならない品のない冗談を言い出した。
曖昧に笑うしかできなかった自分を、今は責めるしかない。

文章教室のあと、以前から話をよくしていた女性がフォローをしてくれた。
「飯炊き女としか思ってないのが腹立つ。そういう意味で書いてないって、私たちはわかってますからね!」と、私のエッセイについてたくさん語ってくれた。
私は、ぽつりと、「こんなに、エッセイが違う意味で伝わって、喜ばれてしまって、踏み躙られたのは初めてです。」とだけ、溢した。

わかっている。人は、受け取りたいようにしか受け取れないということ。でも、こんなに、自分の作品が、男女という性別の中でもみくちゃにされるとは、思わなかった。

時代などもあるとは思う。簡単に言えば、これが男尊女卑の名残と言ってもいいのかもしれない。そして、例の彼らは「よかれと思って」冗談をいい、面白いと思っている。悪意はない。
それでも、私は傷ついてしまった。

これも洗礼なのかな。なんとなくそう思う。
それでも私はきっと、エッセイを書く。小説も書く。
批判は糧にしていくけど、まさか、こんなこともあるんだと、ひとつの勉強にもなったけど。
何故女という性別をもっただけで、こんなに変わってしまうんだろうと、考えたりした。
私が男だったら、彼らにはまた違った伝わり方をしたのが、わかるから、尚更。

エッセイを公開したかったのに、今は傷から鮮血が出ているみたいで、痛くて。
そのエッセイを、見たくない。

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